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宣教師の手記 1話 グッドニュースバンコク教会 キム・ハクチョル宣教師

宣教師の手記 グッドニュースバンコク教会 キム・ハクチョル宣教師

2020年1月号 グッドニュース誌から転用させていただきました。

キム・ハクチョル(韓国語ではキマッチョルと呼びます)

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良い大学に入れば幸せだ、という考えに閉じ込められて

 キム・ハクチョル宣教師は救われる前に、貧しい田舎の近所で育ち、大きな都市にある大学に入ることを夢見た。
そこに幸せがあるようだった。熱心に勉強して大学に入ったが、大学生活は日増しに虚無で自己恥辱感に陥った。

**グッドニュース宣教会は、海外200以上の教会に230人以上の宣教師を派遣して、福音を伝えています。
2020年には、タイのキム・ハクチョル宣教師の手記を連載します。現在、タイには、7つの教会と3人の宣教師、7人の現地教役者がいます。
宣教地に多くの関心を持って祈ってください。

 私が生まれたのは、非常に貧しい田舎町で、電気が入ってない、オイルの火を灯して生活していた。学校に入学した後は、毎日4〜5kmを歩いて登下校をしなければならなかった。天気がよければいいが、雨が降る時は傘もなく雨に打たれ、1時間程度をかけて行っていた。雨に合うのは、それでも我慢すればよかったが、雪が降るときは耳や鼻が離れていくようで、足は凍って感覚がなかった。

 中学校を卒業するまで、その近所に住んでいたが、小学校から中学校までの9年間に学校を抜けたことは一度もなかった。時々痛く学校に行けないと言うと、母がこう言われた。 「痛くて死んでも学校に行って死ね。」

 当時は、人々の多くが貧しかった。私たちの家にもお金がなくてご飯もなく、学校にお弁当を包んで持って行くことができなくて、学校で配るパン一つで昼食を済ませた。事実それ一つだけ食べても満腹感がないのに、半分だけ食べて、残りの半分は、夕方に家に帰って食べようと風呂敷に包んで家に帰った。

 家に帰る途中の中間あたりに近所の青年たちが、そのパンを奪って食べようと待っていた。その兄たちにパンを奪われると、泣きながら家に帰った。時にはパンを奪われるのが嫌で、山に登って遠回りして家に帰った。そのように行くと2〜3時間程度歩いてやっと家に着くことができた。

 家に着いた頃には近所に闇が少しずつ降りていた。山の下にある町内を眺めると、まるでホタルのように輝いてたが、光が弱く、暗闇の中で、すぐにでも消えそうなかすかな姿だった。その姿が私には貧困にあえぐ陰気で恐ろしいところ、入るのも嫌なところの姿に近付いてきた。

 その山から50km離れた所に益山という都市があったが、そちらを見てみると遠いのにもかかわらず、電灯が入っていて、私たちの近所よりも明るく輝いていた。 」わ・・そこには、誰が住んでいるのだろうか?そこには、お金も多く勉強も上手な人、スマートできれいな人が住んでるんだろう?私は勉強もよくできないのに... 、私は中学校を卒業するとあんな都市に行って住むことができるか?私もあんなところに住んでみたい。どのようにすればあんなところで住むことができるか?」いろんな思いがした。

都市の高校に行くには熱心に勉強しなければならない
 当時私は通っていた中学校では、生徒が280人程度だった、その中で都市の高校に行って勉強する学生は30〜40人程度しかいなかった。 280人の中から30人が高校に進学する場合、残りの250人は田舎に残って農業をやったり、工場に行ってお金を儲けて暮らしていた。結論は勉強をよくして280人のうち、少なくとも30位の中にいなければならが、私は40位程度だったので、「私は都市に行って勉強することができるか?」と心配になった。

 だから学校に行って家に帰ってきたら遅い時間だったが、かすかなオイルランプの下で本を読んで勉強をした。数時間をかけて疲れて眠いが机の上に座って勉強した。20〜30分経っただろうか、私の母が呼ぶか、誰が歌うか「ハクチョラア〜」と呼ぶ声が聞こえてビックリ目を覚ますと、居眠りしていた。

 「誰が私を呼んだ?母が呼んだのか?」とお茶の間を見ると母は眠っておられキッチンには誰もいなかった。ところが少ししてイカを焼くにおいがするではないか。
「私は一生懸命勉強してるから、お母さんがイカを焼いてくれるのか?ところがおかしい。お母さんは部屋で眠っていらっしゃる?私はちょうど居眠りから起きたから夢の中でイカ焼きの匂いを嗅いだのか?」

 いろんな考えをして頭を触ってみると前髪が焼けたのだった。オイルランプの火に頭が乗りイカを焼く匂いと同じ匂いがした。 「ああ、頭が焼けたね。また、友人たちの笑いものになるな。気を引き締めて勉強しなくちゃ。」

 また、熱心に本を読んでいると、また母が呼んだようで目が覚めたが、母はまだ眠っておられ、またイカの焼ける匂いがするではないか。再び頭を触ってみると頭は少し前のままであった。 「そしたらどこが焼けたか?」と眉を触ってみると眉毛が焼けていた。 「学校行けば友達がらい病人が来た、とからかうのに」という思いがして、恥ずかしくて学校に行くのが嫌だった。

 次の日、母に痛くて学校に行けないと言うと、母は棒を持って出てきて、私を殴り無条件で行けと言われた。母親が怖くて学校に行くと予想どおり友人が私をからかった。本当に学校に行くのが嫌な時が多かったが、学校は必ず行った。 「勉強をよくして出世して、お金持ちになって幸せに生きなければならない」という母親の意志に導かれてでも一生懸命勉強しなければならなかった。

ああ、このように勉強すればいいんだね
 その努力した結果、高校の入学試験に合格して都市に行くことができた。春になって開校し、私たちの組に行ってみると、私のような田舎者とは異なり、友人の多くは都市の子供で勉強を本当に上手にするように見えた。だから、私は学校に到着すると「勉強しなければならない」とすぐに机の上に座ったが、友人たちは学校に来るとバックパックを投げておいて遊びに行った。それで「あの子たちは予習復習しなくても勉強をよくするから遊んだろう。試験を見ると、私は50人のうち40〜50位くらいだろう?そしたら、恥ずかしくて学校にどのようにして通うの?」と思った。だから学校に行くやいなや、もっと熱心に勉強しなければならないと思った。

 学校に通って休み時間に遊んだことがなかった。昼休みにも友人のように歩き回って遊んでみたことがなかった。時間さえあれば机に座って勉強をしなければならないと思った。しばらくして、高校に入って初めての試験を受けた。「ああ、果たしてどの程度だろうか?20位になっても良いだろう。 50人中、20位だけでも良かったんだ。それとも40位? 50位だろうか?」後で試験結果が出た2位であった。「わぁ!勉強すればできるんだなぁ」と思った。

 毎朝朝礼の時間に担任の先生が教室に入って来る時は友人は遊んで "先生がきた!」とあたふた席に座った。ところが、私は事前に座って勉強しているから、先生が私たちのクラスの友達に「君たちはハクチョルのように勉強しろ」と言われた。その話を聞くから気持ちが本当に良かった。 「ああ、こう勉強すればできるんだ!」先生も褒めていただいて、時には友人がパンも持ってくれて、学校に行くのが面白かった。勉強するのも面白かった。 「私は勉強すればできるんだ!」という気持ちがした。

 高校3年の間に一度行く修学旅行が高校2年生の時あった。 3泊4日の間に俗離山の下にテントを張って頂上まで上がって行ってくる旅行だった。すべての友人が修学旅行を行ったが、私は一人で学校に残って勉強をした。修学旅行に行かないで、どこにも遊びに行かないで勉強だけした。他の人が遊ぶとき同じように遊べば、どうして良い結果を得ることができますかと思った。そうすれば良い大学に入るだろうと思った。

 

 

夢見ていた大学入学

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 高校を卒業して、大学入学試験をして落ちた。あまりにも絶望的で友人に会うことも恐ろしく親戚に会うことも嫌だった。浪人して1年また勉強して試験をした、また落ちた。しばらくして姉の家に行き、姉が言った「私はあなたのような弟が恥ずかしい。お前、大学合格すれば、私たちの家に来ることができる。それまでは、私たちの家に来るな。」心に「大学落ちるから姉も私を捨て、友人も私を捨てるんだな」と思った。

 もっと熱心に勉強して大学に必ず入らなければならないと考えた。そして三浪の最後に、最終的に大学の入学試験に合格した。飛ぶように嬉しかった。 「これが幸せであり、自由よ。このように生きるんだよ」と思った。私が子供の頃から夢見ていた大規模な都市に行って大学を通うようになった。

 

ここで何をやっているのですか?
 大学1年生のときには酒を飲んでタバコ吸って、授業がない週末にはずーっと遊びまわった。ハイキングもして登山も行って浜にも遊びに行き、ずっと遊びながら「こう生きるのが幸せだ」という気持ちがした。ところが、不思議な点があった。遊び続けてみると、お酒を好きになって、その後お酒をたくさん飲み、次の日の起きれなくて、学校の授業まで抜けた。

 「あれ?私が何をやっているのか?私が学生か?私が子供の時に、このような都市に住んで幸せだと思っていたが、今私はここで何をやっているのか?」

 中学校の同級生の中で大学に入った人は10人いなかった。私は10人のうち一人だから故郷に行って友達に会うとき、友人が私を本当にうらやましがった。「君は大学生で良いね。」親戚もみな私を賞賛し羨望した。父は、私が一生懸命勉強すると思い、本を買うお金もいただいたが、私はそのお金でお酒を飲みながら遊びまわった。両親の前では学生だったが、都市に戻ってからは遊びまわり授業を避けるのが常であった。

 お酒を飲んで遊んでみると、どのようなときも酔って路上や駅前などで眠ったこともあった。朝起きると「私は勉強もして都市に来れば幸せだと思った私は今一体何になったの?」という自己恥辱感の中で辛かった。

 そのようにと時間が流れて大学3年生になった。心を落ち着かせ勉強しようと午前4時から図書館に行く準備をした。当時私は通っていた大学では、夜明けには図書館の正面玄関は開かず非常階段だけ開いた。午前4時半に図書館に到着すると、すでに200〜300人が非常階段の前に並んで待っていた。早く入ると読書室の中の最も静かな場所を得ることができた。ドアの前にある席で勉強すると行き来する人々のために集中できないから皆そんな席は望まなかった。試験期間は、図書館の前に完全にテントを張って寝る人もいた。
「ああ、あそこまでして勉強をするんだな」と思った。

 図書館4階には「精読室」という、勉強する部屋があった。夜明けに図書館の扉を開くと、待っていた学生が精読室で良い席を得ようと、みんながいっせいに恐ろしく階段を走って上がった。あるとき女子学生が階段で倒れた。だから後ろにいた学生が「ここに人が倒れたのだから押して上がってこないでください!」と声を上げたが、その後ろでは、その音が聞こえないから、押し続けて上がって前にいる学生が押されて倒れた女子学生を踏んで上がった。その光景を見ながらやるせなかった。 「これ大学ですか?このようにして幸せになるのか?」

 子供の頃大学は自由とロマンがあるところだと思いましたが、いざ入ってみると外から見る大学と中で見る大学はとても違った。直接見ると、競争が高校よりも激しかった。私が中学校、高学校に通うとき、大学生はワイシャツにバッジをつけて通った。そのバッジが星のように輝いて見えた。だから「私はいつあんなバッジをつける?いつあんな星をつけてみようか?」という考えで熱心に勉強して大学に入ってきたが、入ってみるとそんな幸せはなかった。

 「私は勉強して幸せになるためにやらなくてはいけない。ところが高校生の時大学に入ると、幸せだと思って一生懸命に勉強したが、ここに幸せがないんじゃない。その後、大学で一生懸命勉強して卒業して良い仕事を得た。結婚をした。その後、そこには本当の幸せがあるか?」

 私の心は不安と漠然でいっぱいになった。私は大学に入る前の想像が現実と全く異なっていたかのように、大学を卒業した後も、まったく別の現実があるようだった。 「こんな世界を歩き続けなければならのか?本当に幸せになれるならば、幸福が保証されるなら命をかけてでも勉強するのに....」私が夢見たことが叶ったが、そこに想像していた幸せな人生がないことがあまりも虚しかった。その時の虚しさは言葉で表現できないものであった
1-2 写真参照

ため息だけ続けて出てきた
 小学校6年、中学校高校6年、浪人を合わせ、14年の間に勉強し、大学に行って4年をもっと勉強しました。全部合わせて18年、その時代の間に、私はまるでルカ13章11節の「18年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことができない女がいた」という聖書の一節に出てくる女性と同じだった。病の霊につかれ18年の間に一度も体をしっかりと伸ばして見られなかった女性の姿、それが私の姿だった。
 
 私は幼い頃から、このような考えをたくさんした。 「私は勉強をよくして都市に住めば肩を張って生きるんだな」だから懸命に勉強し都市の高校に入ったとき、肩を張った。私の友人は、このような都市で勉強できないのに、私の友人よりも勉強をよくして、このような都市に暮らしているじゃない」ところが私より先に行く人々に追いつくために、私は腰が曲がっていた。浪人の後大学に合格してまた肩張っていたが、卒業して良い職場を得ると前よりもっと熱心に勉強しなくてはいけないと腰が曲がった。

 私はいつのまにか「いっそ死のう。生きても何も望みがない」と絶望の中にますます
陥った。ため息だけが続いた。私が背負っている荷物がとても重かったからである。その荷物が消えなかったからである。
「どうすれば良い仕事に入るか?どのようにお金を儲けるか?どのように生きなければならんだろう?私の罪はどのように洗うことができるのだろうか?」そのようないっぱい積もった荷物が私を押しつぶし、私の腰を曲がるようにしていった。

 「18年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか」(ルカ13:16)18年の間に、サタンに縛られて過ごしたこの女性のように、サタンは私に「良い大学に入ると、自由を得るでしょう、熱心に働けばお金をたくさん儲け幸せに暮らすだろう」という考えを入れた。それはすべての人がするごく普通の考えであり、私はその考えに沿って、熱心に生きれば周りの人から賞賛と羨望を受けるエリートだと思った。しかし、私の姿を正確に見たことが一度もなかったが、聖書に映った私の姿は、悪霊につかれた人のように狂った心を抱いて生きたのだった。

 

・・・2話に続く

 

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