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グッドニュース誌 2017年 9月号 ソン・インモ兄弟(現在長老) 証 宝と土の器

グッドニュース誌 2017年 9月号 証 

文|ソン・インモ兄弟(現在長老)(グッドニュースソンジュ教会)

私はまくわうりをかぼちゃと言う

古い証ですが、印象に残った証なので掲載しました。写真を探しましたので更新して掲載します。 

 

証 宝と土の器

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ソン・インモ長老


酒と賭博に溺れていた青年時代

私はキョンナムのハプチョンのコンビンという村で、貧しい家庭の次男として生まれた。私たち家族は橋の下の離れた家で暮らしていた。ある日の早朝バスが家のすぐそばに転がり落ちて、乗っていた人たちが助けを求め家に入り込んできて、家族がとても驚いたことがあり、またある日には家の反対側にジープが落ちる大きな事故が起きた。私の親はこの家ではそれ以上住めないと思ったのか、私が9歳の時、母方の親戚がいるソンジュに引っ越した。

ソンジュでも、持ち家もなく賃貸で畑を借り農業を営む貧しい生活が続いた。父は酒と友達が大好きで母とよく喧嘩をしていた。『お父さんはなんであんな生活をしているの。 私は大人になったらお父さんのようにはなりたくない』と誓った。幼かった私は酒は飲まなかったが、友達とよく人の畑に入り果物を盗んだ。スイカ畑でスイカがなくなるといつも私が疑われた。

家は貧しかったし農業は自分には合わないと思って中学を卒業した後は金を稼ぐためと言って友達と都会に出た。金を稼ぎながら、酒と煙草と賭博を始めた。給料は酒代の付けを払い夜通し賭博をすると何も残らなかった。このままではだめだと思い、実家に戻り農業を手伝った。その頃、兄が(デドク教会のソン・チュンモ兄弟)軍隊で腰を痛め除隊した。ひとりでは横になることも立つこともできないくらい深刻な状態だった。父は兄を治そうと全国を周ったが治すことができず、結局手術を受けさせた。

 

「インモ、生きている人の願いを一度だけ聞いてくれない」

1981年私は貧しい家族を残し軍隊に入った。10か月ぶりに休暇をもらい家に帰ると家族は皆日曜日にテグにある教会に通っていた。兄は腰が完全に治り、とても明るい表情だった。家族が食事をする時無口な父が私に「神を信じ救われなければならないよ」と言って口数が増えていた。以前とは違って家の雰囲気が安らかで家族関係も良くなったように感じられた。2回目の休暇の時は父が酒を止めていた。母も変わっていた。以前は悪夢に苦し められて霊が見えると言って頭の上に包丁をおいて寝ていたが、救われてからはそんなこともなく幸せそうだった。しばらくして兄がテグ中央教会で結婚式を挙げた。生まれて初めて教会に行った日だった。 1984年2月、軍から除隊した。職業訓練所に行って技術を学ぶつもりだったが、 家の農事を手伝っていたとき腰を痛め動けなくなってしまった。痛みがひどくて寝ることもできなかった。当時テグ中央教会からオ・チャンミョン牧師とある執事が家庭訪問に来てくれたが、私は御言葉を聞くことが嫌で逃げ回っていた。父が一度だけ教会に行こうと言ったけれど断った。

そんな中、父が胃癌の末期判定を受けた。あんなに嫌いで憎かった父が3ヶ月しか生きられないと思うとあまりにもかわいそうで、人生がむなしく感じられた。それにも関わらず父は喜びながら私に伝道をし続けた。

ある日から父は3日間食事を取らなかった。癌のせいで痛みがひどく食事ができないのかと思っていたら、母から「インモ、死んだ人の願いは聞いてあげるのに、お父さんが生きられる時間はそう長くないんだよ。生きている人の願いを聞いてあげても良いんじゃないの。あなたが救われて教会に通うのがお父さんの願いなの。だから3日間食事もせずお祈りをしているの」と言われた。私は衝撃を受けた。 『救いとはいったいどんなものなのか、父が末期癌の苦しみの中であんなに祈るのは…』その週の日曜日私は家族と一緒に教会に行った。

何日か後にハミャンで行われた夏の修養会で福音を聞いて救われた。イエス が私の全ての罪を贖ってくださったということを思うと、帰りのバスから見える外の景色がとても美しく見えた。救われて4か月が過ぎた頃『イエスは私の罪だけで なく、私の病もすべて負われたのだ』という信仰が生じ、それから間もなく腰が完全に治り悪い習慣も全部断つことができた。不思議だった。それだけでなく友達 に会うとイエスの話が自然と出てきて、私が救われた2ヶ月後父が亡くなった。父は 亡くなる1週間前まで親戚と友達を訪れ伝道していた。 『イエスは私の罪だけでなく、私の病もすべて負われたのだ』という信仰が生じ、それから間もなく腰が完全に治り悪い習慣も全部断つことができた。

 

牧師を無視しながら生きていた時代

救われ、福音が好きで1986年にテグ中央教会で1年間宣教学校の授業を受けた。 しかし毎日人に会って伝道する生活が負担になり、当時の私は牧師の話を聞く心がなかったので『私はだめだ』と思い自分で決め実家に戻ってしまった。その後、1988 年に結婚し、農業を始めようと思った。自分は怠け者だから農業が合わないと思っていたけれど、『神が農業をさせてくださるならやろう。人が嫌う農業だけど神と共 にすれば幸せだろう』と心を決めて農業を始め、唐辛子、まくわうり、稲など複合営農をして、その後まくわうりだけを育て始めた。

1993年にソンジュにも教会が開拓され、10人ほどの兄弟姉妹たちと一緒に信仰生活を始めた。当時私は祈りの答えをもらえることが上手な信仰生活だと思っていた。たまに御言葉を悟り、祈りをして、答えをもらうと、教会を導いていた伝道師に「 伝道師も私のように祈りをして答えをもらいながら生活してください」と言って伝道師を無視した。神のしもべに従うということがどういうことか分からず、教会が信仰 で福音の仕事をしようとする状況を前にして、兄弟姉妹たちと教会のため争うことが絶えなかった。20年間そのように生きて、自分は信仰が良い人だと思っていた。

 礼拝堂を建てるために土地を購入して10 年が過ぎるまで礼拝堂を建てられずにいた。建築の許可が下りないから建てられないと思っていたが、実は負担のため 建てられずにいた。今振り返ってみると牧師を無視して価値のない自分自身を信じ生きていたので私はずっと福音を邪魔することばかりしてきた。

 

 御言葉を大きく思う心を作ってくださった

2013年、パク・オクス牧師は宣教学生たちと一緒にキョンブク地域の教会を巡回した。 『神が農業をさせてくださるならやろう。人が嫌う農業だけど神と共にすれば幸せだろう』と心を決めて農業を始めた。その時はグッドニュースイソン教会におられ、私もそこに行き御言葉を聞いた。パク牧師はグッドニュースチョンソン教会の礼拝堂を立てた証を聞かせてくれた。聖徒2人で1人は短期宣教に行き、残っている聖徒は1人だけだったが神が喜ばれることだから礼拝堂は建てられたとおっしゃった。人工衛星から朝鮮半島を撮ると韓国の方は明るくて北朝鮮の方は暗い、神は我が宣教会の場所をそのように明るく見ておられるとおっしゃった。私は 『私たちの教会は小さく、兄弟姉妹の人数も少なく建築は無理だろう』と思 っていたが、『神はソンジュにも礼拝堂を建てることを喜ばれるはずだ』という心が生じた。

2014年の夏、礼拝堂建築を始めた。まくわうりの収穫時期でとても忙しかったが、神が一つ一つの工程を助けてくださるのを見てとても幸せな夏になった。自分の家を建てる時よりも幸せだった。礼拝堂建築が終わるとイエスが来られる日まで教会の庭を掃いて、草を取りながら生きることも幸せそうで、しかし、何か月も経ってないうちに牧師に逆らう以前の習性がまた出てきた。 『教会で庭を掃いて、草を取りながら暮らそうと思っていたのに、なぜできないんだろう』ある日、教会のキム・ヨンウク牧師が私に教会に来なくても良いと言われた。あまりにも腹が立って、一週間そればかり考えた。礼拝堂を建てる時、奉仕や献金をしたことを思うと心が寂しかった。牧師のところに行き心を打ち明けた。すると先生はとても喜ばれた。それまでは自分の良い姿、うまく何かをしている姿を持って牧師の前に出たが、その日は自分の本音を持って前に出たので牧師が喜んでくださったのだ。その時から教会の声が聞こえ始めた。

 

エスを一番にして福音を伝えることがとても幸せだった。 2015年2月26日、礼拝堂の建築が終わってお祝いの礼拝を捧げた。その日パク・オクス牧師はマタイの福音書13章44節の「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)という御言葉を伝えた。牧師は「信仰は発見することです。宝を発見した人はあまりにも嬉しくて自分の財産を全部売って畑を買います。私はその宝を発見し、その宝で生きています」と言われ、「我が宣教会の中で大変なこともたくさんありますが私のように幸せな人がほかにいますか。 信仰はとても簡単で楽 しいことです」と言われた。私の幸せは状況によって変わるのにパク牧師はいつも幸せだと言われた。その御言葉を聞いて何年か前のことを思い出した。

 礼拝堂を建てる前だった。ソンジュでは4,500軒の農家がまくわうりの農 業を営んでいるが、その年まくわうりのシーズンが終わってからテグの新聞 に「ソンジュのまくわうり、お祝いムード」という記事が載せられた。その年の収穫量が良くてソンジュの全体の売り上げが相当上がり、その中で売り上 げ1位は「ソン・インモ」だと書いてあった。学生時代いつも最下位だった私 が4,500人中の1位になって本当に嬉しく町中を自慢しながら回った。しかし不思議に夜になり眠ろうと布団の中に入ると幸せな心は全部消えむなしさだけが残った。まくわうりの農業が好きで、それが自分の人生のすべてであるかのように生きて、それで最高の位置に登ったけれど幸せではなかった。牧師の話を聞きながらその時のことを思い出した。

『そうだ。農業がだめになったら一度牧師のように生きてみよう。牧師はイエスと福音を宝だと思って生きているので私もイエスを一番目に置いて、まくわうりを2番目に下ろして福音を伝えながら生きてみよう』と心に決めた。 建築祝いの礼拝が終わる時パク牧師はまくわうりの農業を営んでいる兄弟たちの仕事がうまく行って福音が伝えられるようにしてくださいとお祈りをしてくださった。兄弟姉妹たちが「私たちのまくわうりが目立って、私たちが遊んでも農業はうまく行く。だから福音のために生きましょう」と証をした。その時から私も福音を伝え始めた。ビニールハウスの横にある古びたコンテナをカフェのように改築し、私の農場の技術を学びにくる人たちに「農業は技術だけ知るのではなく、心を学ばなければならない」と言って福音を伝えた。当時の農地の規模は5千坪(現在は7 千坪、国際規格のサッカー場の3倍程度)だったので、やらなければならない仕事はとても多かったが、誰が訪ねて来てもまくわうりは後回しにして御言葉を伝えた。3ヶ月ぐらい福音を伝え救われた人は1人もいなかったが、それでもとても幸せ だった。

 

私は、やはり酔っ払いで問題を起こす者だった

 ある日、大手会社で務めて定年退職をした後ソンジュに帰ってきた先輩に会っ た。まくわうりの農業を学びたくて友だちの農場を訪ねたら、友だちから止められたので私を訪ねたのだった。

『インモ、私もまくわうりの農業をしたいけど、あなたはどう思う?』

『まくわうりの農業は本当に楽しいです。やってください。私が全部教えます。』

 先輩と話をしていると、先輩が突然昔の話をした。

『あなたのお父さんとうちの親父は、よく酒を飲んでいてその度に次男のことを思うと頭が痛いとおっしゃっていた。インモは問題を起こす者だって』 福音を伝えている間、神は私の姿を見せてくれた。

その時まで私は父の方が問題で、私は父よりはましだと思っていた。しかし、私の方が問題を起こす者だとその時分かった。自分なりに信仰生活を していて信仰で生き、教会に私がいないとうまくいかないと思っていたのに、 違った。私は教会をダメにして神の働きに邪魔をする人であった。福音を伝 えている間、神は私の姿を見せてくれた。

 献堂礼拝の後、3ヶ月が経った6月のある日、パク牧師が孫たちとまくわうりの収穫に来られた。キム・ヨンウク牧師からパク牧師の隣でずっと証をするように言われたのでそのとおりにした。『先生、15年前に先生がグラシアス合唱団は、世界一の合唱団になるとおっしゃったとき、私もその信仰を真似したらグラシアス合唱団が世界一になったときに、私もソンジュで第一のまくわうりの農業している者になりました』まくわうりの収穫をしていた牧師は大きい声で『アーメン!』と言い、喜んでくれた。まくわうりの収穫が終わり、 教会に帰るときも、ずっと証をした。『先生、うちの親父が酔っ払い者だったので私は、親父のようになりたくなかったですが、私も酒が好きです』牧師はうなずいて聞いた。

 その日、バク牧師がソウルに行くときグッドニュース・スウォン教会に寄って 『ソンジュのソン兄弟は、酔っ払い者だったけれど、完全に変わりました』と おっしゃったと聞いた。 「私は酔っ払い者ではなく、ただ、酒が好きで父が酔っ払い者だったのに」

 もう一度考えてみたら私は酔っ払い者であった。神が掴んでくれなかったら私は父より深刻な酔っ払い者になったからである。

 パク牧師の奥さんも「ソン兄弟の顔が明るくなったね。 昔はひねくれていたのに…」とおっしゃった。自分が問題を起こす者、酔っ払い者でひねくれている人と認めたら心が自由になった。昔は信仰が良くて信仰生活もできて聖書をよく悟る人だと思っていたので信仰が大変だったけ れど、自分がダメな人だとわかると御言葉がそのまま入り、変わることができる人になった。パク牧師がまくわうり農場を訪ねた後、私に対する期待が消えて神だけを見上げるようになった。

 

 福音を第一順位にしたとき、得た初の実

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イ・サンウ兄弟

自分の生活で福音を第一順位にしてから、福音を伝え初めて救われた人がイ・サンウ 兄弟である。ある日、隣の農場でまくわうりの栽培を手伝っている時、プレハウスでひとり生活しているイ・サンウさんが、酒に酔っぱらって歩けない状態で私に話した。『兄貴、私 を助けてください。ここで救ってください』『あなた、私の話どおりにする』『はい、します』  

私は彼にパク牧師の本<罪の赦し・生まれ変わる秘密>を渡した。 数日後、パク牧師がまくわうりの収穫に農場にいらっしゃったとき、彼に牧師を本の著作者として紹介した。彼は酒が飲めなくなるまで酒ばかり飲む人であった。そのようなイ・サンウさんも夏の修養会に参加して救われた。イ・サンウさんは、牧師の心を受け入れて足を踏み出してから5か月ぶりに得た初の実であった。彼を知っている人たちは、酔っ払い者だった人が変わり、農業をしている姿を見て驚いて私を訪れる。兄弟を通して神が働くことに感謝している。

中小企業の工場長として働いて退職してからソンジュに来たキム・インギュさん夫妻も イ・サンウ兄弟を通して教会とつながり救われた。キム・インギュさん夫妻は、農業がうまくいかなくてまくわうりの専門家にまくわうりの農業を学ぼうと思っていたところでイ・サンウ兄弟に会って、彼が私を紹介したのであった。私は夫妻に『まくわうりの農業は簡単です。 一緒にすれば良いです』と私の農業法を説明してあげた。一週間に一度教会に来て兄弟 姉妹たちの幸せな姿を見て心が開かれて奥さんの方が先に修養会で救われてご主人の方も救われた。

 

『新聞社に行ってみてください』

ある日は、キム・ヨンウク牧師からソンジュ新聞社に行ってみてくださいと言われた。3 年前、礼拝堂を建てるとき忙しかったが、<グッドニュース誌>に<ソン・インモのまくわうりの話>を連載したことがあり、牧師はそれを覚えていてソンジュ新聞社にその文を紹介すればいいと言った。『私のような人が書いた文を誰が新聞に載せてくれる』と思ったが、牧師の言葉に従ってソンジュ新聞社に行った。自分が書いた文を渡してきたが、一週間後、新聞に私の文が掲載された。そして、外部の執筆者になっていつでも文を掲載することができるようになった。牧師の心に従うとそのとおりに神が成し遂げることが驚きで感謝した。2016年には、私のコラムがソンジュ新聞に5回連載され、そして、パク牧師のコラムも提案して今まで連載されている。農業がうまくいくかいかないかに関係なく、人々に福音を伝えて農業法を教えたとき、人々が望みを持つようになることが私の幸せだった。

 

『一人だけ恵みを受けてうまくいくのも罪です』

 教会でまくわうりの農業をしている農家は、私を含めて5組(現在は8組)だった。し かし、昨年2組の農家が完全にダメだった。キム・ヨンウク牧師は『パク牧師がまくわうりの農業をしている兄弟姉妹たちはみんなうまくいくとおっしゃったのに、ソン兄弟だけがうまくいくことはおかしいです。一人だけ農業がうまくいくことは罪です。農業法を他の人にも教えてください』と言われた。私は自分が何かが良くできたより、ただ、恵みを受けたのでうまくいったと思ったが、牧師は私が罪人だとおっしゃった。パク牧師の生き方をもう一度考えてみた。牧師は他の人の幸せと喜びのために生きる方である。それに比べたら私は、自分の生き方に福音を第一順位にしているものの、相変わらず自分の幸せと自分の喜びのために生きていた。「これからは、牧師のように人のために生きる」と心を決めた。そして、今年初め、マタイの福音書13章44節の御言葉から 「宝」と名付けた集まりを作り、農業に失敗した人たち10人を集め、自分の農業法をそのままマネできるように教育を始めた。

 

私は世界一のマインドを持つ農夫である

そのころ、パク牧師先生が大学生の集まりで「ソンジュでまくわうりの農業をしているソン・インモ兄弟は、世界一のマインドを持って農業し、講義をしてまくわうりの農業を引っ張っている」とおっしゃったのを伝え聞いた。『私が世界一だって。ソンジュのまくわうりの農業を引っ張っているって。まくわうりの農業の講義もしていないのに』

 教会に行ってキム牧師先に話すと『そのとおりです。そのようになります』と言われた。考えてみると私のように幸せな気持ちで農業をしている人はいなかった。農業は大変なので子どもたちが農業をすると言うと止めるが、私は自分が農業するのが幸せだから息子にも幸せな自分の心を言っていた。人のために農業をするのが世界一のマインドではないか。パク牧師がおっしゃったとおり、私は世界最高のマインドを持つ農夫であった。

その後、ソンジュ郡庁でまくわうりを広報するために「ソンジュ郡が選んだ今年のまくわうりベスト10」を決めたが、私はその中に入った。授賞式に参加し、認定杯も貰った。そして、新品種を紹介する行事が行われる場所に集まった700人の農夫たちの前で講義もした。講義が終わるとたくさんの人が私を訪ねて名刺と農業法を学びたいと言った。ある方は昨年の新聞に載った私のコラムを読み、会うのを楽しみにしたと言った。パク牧師がおっしゃったとおりにならなかったことがなかった。とても不思議だった。

 私の思いで、自分は正しいと思ったときは、幸せも実もなくて周りの人を傷つける者だった。その後、パク牧師の御言葉を聞き「私も牧師のように生きてみよう」と心を変えただけなのに今は、礼拝の時間に毎回、証をするくらいに証が多くなっ た。

 

 聖書で学んだ知恵で農業を営む

 私の農業法を「平安農法」と名付けた。人々はよく実が結ばれるために作物に手を加えるが、私は聖書の知恵で農業をしているので心配しないでも枯れずに農業がうまくいくからである。聖書には4種類の畑の話が出ている。道端、岩地、いばらの畑には良い種をまいても実らないけれど、良い地には実るのを見てどんな畑に種をまくのかが大事であることを知った。そして詩編1章3節『その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしてもさかえる』自分の心のベースは御言葉に置かなければならないのを知った。ローマ書11章16節の『初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。』御言葉で根が大事だと知った。それで、根が良くなるならばどんな方法でも受け入れた。

パク牧師がグラシアス合唱団に世界一の合唱団になるとおっしゃったとき、「 私もソンジュで一番だ」という信仰でまくわうりの専門家を訪ねて聞いて学んだ。 日本に行って農場を見学して、根っこの大事さと畑を良い地に変えるために堆肥を作る過程を学び、真似した。農業は簡単なことではなかった。千種類の条件が合わなければならないからである。それで、農作業がうまくいかない場合は牧師と交わり、お祈りしてもらい自分の問題を神にゆだねて私は休んだ。

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 信仰はかぼちゃの根にまくわうりの枝を接木すること

少し前に、教会を離れたある兄弟が私のところに訪ねて来たので、このような 話をしてあげた。

「ずっと実を結ぶまくわうりがあって、結んだり結ばなかったりするまくわうりがあるんだ。聖書でも葉のほかに何もないイチジクの木をイエスが呪うと木が枯れ たよね。 なぜ実を結べなかったか知ってる。それは根がないからだよ。根が良い木は実を結ぶんだ。私も前は根のない信仰をしていた。その時は周りの人に苦しみを与え、教会に敵対し、自ら滅びることばかりしていた。ところがある日、パク牧師が生きる人生に心から会って、その心を受け入れて生きてみると私も変わって、 私と会う人も生きるんだ。『私の若さを捧げ、彼らの心を掴みたい』というグッドニ ュースコアのモットーのように、自分のものを売ってほかの人のために生きるようになった。パク先生のように生きてみようと決心すると、その時からソン・インモではなく、私からイエスが現われて実が結ばれたよ」

その兄弟は私の証を聞いて衝撃を受け心が立ち返った。本当にありがたかっ た。

私はまくわうりをかぼちゃと呼ぶ。まくわうりの根は弱くて冬の寒波に耐えられず死んでしまうが、かぼちゃはどこに植えても根が強くてよく育つ。そのためかぼちゃの根にまくわうりの枝を接木して育てている。信仰も同じだと思う。信仰は100 メートル走の短距離ではなく、42,195キロメートルを走るマラソンのような長距離競技である。この世を去る時まで信仰生活を続けるためには自分自身ではできな い。イエスに接木され神のしもべの人生とつながっていなければならない。

 

神のしもべの心とつながってから

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2017年6月グッドニュースソンジュ教会を訪問されたパク・オクス牧師一行と兄弟姉妹たち

パク牧師が今年の6月まくわうりの収穫に訪れた時、「ソン兄弟、まくわうり農業ばかりしないで海外に出てマインド講演もやって福音も伝えてください」とおっしゃった。『私のような人が講演なんて』と忘れてしまったが、教会の導きで8月にメキシコのワールドキャンプで1時間公演をした。メキシコ教会の兄弟姉妹たちが心を尽くして教会に仕え、宣教師たちが今回のキャンプが最後であるかのように自分のすべてのささげキャンプを準備し、神がご自分のしもべを通して福音を力 強くあらわすキャンプを見てとても感謝で感激した。

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グッドニュースソンジュ教会

2年前、建築祝いの礼拝のときには、わが教会の兄弟姉妹は15人程度だったの に、2年間に2倍以上増えた。多くの人が私たちとつながって救われることに本当に驚きを覚える。私によるものは一つもない。私はただ神のしもべの人生をまねしただけなのに、神のしもべの心とつがってから神が私にも驚く働きをなさっていると思うと本当に感謝である。

 

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星州郡(ソンジュ)地図。大邱(テグ)に近い。コネスト地図から引用させていただきました。