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パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 宣教学校からアッコクトンへ

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 (韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

 

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様一人だけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。 キリストの香りが漂う物語

 

 宣教学校からアッコクトンへ

 救われる前はとても苦しい生活を生きてきたが、宣教学校で神様は再び私の心をいつも低くされた。宣教学校で御言葉を聞く時間はとてもよいが、問題は私が御言葉を伝えて救われる人が生じないことだった。午前は聖書勉強をして午後は市内に出て伝道をするが、他の学生は御言葉を伝えると救われる人が現れてその証をするが、私にはそんなことは全く生じないので心がつらかった。

 

私が訓練を受けたあと伝道師になるには、聖書もたくさん知るようにして祈りの応答も受け、説教もうまくできるようにしないといけないが、何よりも重要なことは恵みがなければいけない。罪の中で苦しんでいる人々に御言葉をよく伝え、彼らの心の罪がきよめられ生まれ変わる働きが起きなければいけないのに、それができないのでとても苦しかった。ある時はもどかしい思いで、ひとりの人をつかまえて、創世記からヨハネの黙示録まで知っている御言葉をすべて話したが、救いの働きは起きなかった。

 

主日礼拝の時間には人々は前に出て救われた証をした。

「宣教学生の誰々が私に御言葉を伝えてくれた。その御言葉を聞いているうちに私の罪が雪のように白くきよめられました。」

「私が今まで知らなかった御言葉をある宣教学生が教えてくれた時、その御言葉の恵みを受けて私が変わるようになりました」

・・・・。

 

多くの人が証をしたが

「私はパク・オクス兄弟から御言葉を聞いて罪が赦された」という証をした人はいなかった。ある時、ひとりの青年に会い

『この青年が生まれ変わるように導かなければいけない』という悲壮な思いで聖書の話を熱心にした。

「私たちがなぜ罪人であり、どのようにして私たちの罪が赦されるのか」ということに対して何日もの間御言葉を伝えたがその青年は無関心で、私が御言葉を伝えても遠い山を見上げたり時計をのぞき込んだり、こっくりこっくり船をこぎ始めた。御言葉を伝えたぶん力が抜けてしまった。あとで到底御言葉を伝える力が出ずに、結局送り出した。

 

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そうであったが、その次の主日礼拝の時間にその青年が出て証をした。私は

『もしかして、この青年は私が伝えた御言葉をあとで悟り変化を受けたのかな』と思い緊張して証に耳を立てた。しかし、その青年はこのように証した。

「パク・オクス兄弟が話をした時は頭だけ痛くひとつもわからなかったが、兄弟の誰かが話をしてくれたので、そんなに簡単なことはなかった。私の罪がすべて洗われたことがこのように簡単に悟ることができて、とてもうれしく感謝します。

『まったく、人の心を踏みつけてあんなに血なまぐさく踏みつけられるのか』という思いがした。それほどさみしいことはなかった。

 

いつのまにか宣教学校の訓練はすべて終わり、私たちは伝道師になり外国の宣教地へ出ていかなくてはいけないのだが、宣教師様は

「外国へ行く前に韓国の予備宣教地で試しに牧会するために行きなさい」と言った。その時他の兄弟たちは行くところがあって、みんな行ったのだが、私は行くところがなかった。私を伝道師として認めてくれる人もいなかった。

「私たちの村に来て、あるいは私たちの教会に来て御言葉を伝えてください」と頼む人もいなかった。出て行く時は出て行かなければいけないのだが、行くところがない、という必死な心の言葉ですべてを言い表すことができなかった。兄弟たちはカバンを荷造りし、これからの計画を立て、お互いに住所を交換したが、私は漠然とするだけだった。神様を見上げても応答をしてくれそうもなかった。私が知っているところは、故郷の慶北善山(キョンブクソンサン)、宣教学校の訓練を受けた大邱、その次は以前伝道旅行に行ったアッコクトンとい深い山奥の村だけだった。しかたなく、アッコクトンへ行く決心をした。

 

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アッコクトンへは今では大邱から市外バスで1時間もかからないが、当時は4時間かかった。4時間の間バスが舗装していない道路をガタガタしながら走りアッコクトンの入り口に着いた。私が降りるやいなやバスがさっさと行ってしまい、心がうつろで空しかった。その時

『♪誰も私を探す人はいないさびしいこの山奥の紅葉だけが重なって落ちて積もっているね』という歌の歌詞を思い出したが、私の身の上にぴったりだった。

 

アッコクトンは3つの村で成り立っているが、一つの村が30戸くらいだった。昼に行くと大人たちはみんな野原に働きに出かけていないので村は子どもたちだけだった。今は理解できるが、その時は神様がなぜ私にこのようなことをされたのかまったくわからなかった。神様は私を用いるために、まず私の心を低くしなければならなかった。

 

車の運転をしていて前に障害物が出てくれば、ブレーキを踏んでハンドルを回さないといけないが、その時ハンドルが回らなくて全力でやっても少ししか戻らないなら、どうしてその自動車を乗ることができるだろうか。主は私たちを用いるとき私たちが強情で主観が入っていて硬くなっていたら用いることが難しい。主は私たちの心を一度戻しても、またもとに戻り、再び戻してもまたもとに戻るなら、一生相撲を取っているだけして終わるようだ。だから、神様はご自身が用いられる人を自分の強情や努力が入らないように、心を空にして低くされる。宣教学校で、アッコクトンで神様は私を低くし空にされた。

 

 

続く >>>アッコクトンでの最初の実