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パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 6 ただ、聖書勉強を始めてください

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 (韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

 

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様一人だけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。 キリストの香りが漂う物語

 

6 ただ、聖書勉強を始めてください

 

アッコクトンで3年くらい伝道していたが主は私を居昌(コチャン)に送られた。居昌に行く前にソン姉妹に挨拶をして行かなくてはいけないのだが、姉妹が商売に出かけていて会うことができなかった。何日か待っていたがこれ以上いることができなくて、荷造りして居昌に向かった。数日後姉妹が戻ってきて、私の家におかずを持ってきたが、私がいないし台所にお釜もないのでとても驚いた。

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「居昌に行った」という話を聞いて私に会いにあてもなく居昌に探しにきた。その日は市場の日で私は町の市場で伝道していた。賛美歌を歌い人々を集め大声を出して伝道して伝道誌も配った。そのように伝道しているときに道で姉妹と会った。お互いにどれほどうれしかったかわからなかった。人々がみんな見ている道に自転車を立てふたりでお祈りをした。一緒に昼ごはんでも買って食べればよかったけれど、そのような状況ではなく交わりをした後家に帰した。

 

「伝道師もおられないのに私ひとり残ってどうして信仰生活をするのですか」

「人々を集めて聖書勉強をしてください。福音を伝えることです」

「私はできません。私が聖書を知らなければいけません」

「聖書勉強を始めれば神様が助けます」

「私はできません。日本からもどってきて間もないし、韓国語もできないし・・・」

「あの、ただ聖書勉強をされてください。神様が助けますよ、助けませんか」

「それでも、できません」

「難しくてもやれば姉妹は信仰で生きます。必ず神様が助けられます」

居昌からアッコクトンまで15㎞くらいの距離で、今は乗用車で10~20分くらいしかかからないが、歩いて行くにはかなりの遠い距離だった。そのうえ歩いて行くと車が通り過ぎると砂利が跳ねるため避けて、また雨が降った後は泥水が跳ねて、居昌まで行き来するのは疲れることだった。だから

「ただ姉妹を置いてはいけない」と思い姉妹に聖書勉強をしなさいと強く勧めた。

 

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ある日の夜私はバスに乗りアッコクトンに行き、ソン姉妹が家で聖書勉強をどのようにしているかこっそり探ってみた。石を積み上げて作った小さな一つの部屋に油つぼの火を灯して、子供たち10人あまり集まって集会をもっていた。暦の裏面に児童の賛美歌を書き留めて、曲がまったく合っていない賛美歌を歌い御言葉を伝えた。すべてが下手くそで

「あんなふうでできるのかな」という思いがした。姉妹に来ましたという話はせずに、居昌(コチャン)に戻った。

 

しかし、神様は姉妹を通してたくさんの働きをなされた。ある時はある婦人が自分の子供を探しにその家に着いて、窓のすきまから御言葉を聞いたのだが、心に感動を受けたあと御言葉をまた聞いて救われた。そのように一人二人救われると、アッコクトンの隣のコンビンという村の大人たちは姉妹を迫害し始めた。

「お前は私たちが信じない西洋の宗教を持ってきてしきりに広めるのか」

村の大人たちはみんな集まり姉妹を座らせて、裁判を起こすのだった。アッコクトンは格別に鬼神が多く家々では迷信に仕えていた。姉妹は

「その時神様が知恵をくださり大人たちの話に勝つことができた」と証をした。

 

姉妹を通してその村の鬼神に取りつかれた人たちがおおぜい治った。救われる人たちも多く起きた。パク・ジョンホ兄弟は肺結核で死ぬところだったが、ソン姉妹の祈りと伝道で生きて救われ、肺結核で家族から捨てられた弟のパク・ヒジン兄弟も姉妹から福音を聞いて救われそのあと体も治り、今は牧師になった。その方を通して神様が働かれた事々を見ると、感謝する心をすべて言葉では言い尽くすことができない。

  

続く >>>7 神様は魚たちもあのように守られるので(作成中)

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 アッコクトンでの最初の実

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 (韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

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 パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様一人だけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。 キリストの香りが漂う物語

 

アッコクトンでの最初の実

 

1963年にアッコクトンのセトという村で暮らし福音を伝えた。ある日ひとりの青年が早朝に訪ねてきて

「伝道師様、伝道師様」と呼んだ。理由を言うのに軍隊に行った青年が運転の仕事をしていて交通事故で死んだのだが、その遺体が村に来たということだ。この村の風習では他国や旅先で客死になった人は村の中に入ることができなくて、遺体を村の外に安置して葬式をどのように執り行うかわからなかったので、村人たちは議論したところ

「コンノ村に伝道師が来たから教会式でやろう」と言って葬式を執り行うことを頼みに来たということだ。その当時はとても空腹の時節だったので、行って食事をたらふく食べて葬式を執り行ってあげた。

 

その後毎週木曜日にその村(アッシル)に行き御言葉を伝えた。午後はずうっと家々を訪ねまわり伝道するが、夜の食事時は森で座って休み祈りながら時間を過ごした。もともと貧しく、ひと匙でももらって食べたら村から即刻追い出すと里長が話してくれたためだった。食事時間が過ぎると一つの部屋に人々を集め御言葉を伝え、終われば夜遅く山の尾根を越え帰った。当時は山の野獣が多く夜道は怖かった。

 

後でアッシル村では御言葉を聞く人が増え居室をセト村からアッシル村に移した。一つの家に小さな部屋を得て生活しながら福音を伝えた。午前はほとんど聖書を読んで時間を過ごし、ある日大家のおばさんに誰かが訪ねて来た。田舎は静かで鶏の鳴き声や犬の鳴き声がすべて聞こえるのだが、ひとりで縁側に座ってタバコを吸っている大家のおばさんにひとりのおばさんが訪ねて来てふたりで話を交わした。

 

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「そう、来たの」

「あの部屋に誰が入ったの」

「うん、教会の伝道師が来た」

「伝道師。いつ来たの」

そのおばさんが私のことをしきりに尋ねた。まちがいなくイエスを信じる人だと思った。そうでなければ伝道師が来たことをそんなにしきりに尋ねることもなかった。だから聖書を持って出た。

「おばさん、イエス様を信じますか」

「いいえ、私は信じないです」

 

いくら信じないと言っても

「この人は信じる人だ」と思い、縁側に聖書を開いて福音を伝えた。その方は商売をする荷物を一方に押しやって御言葉を聞いた。心霊がとても貧しい人で、気の抜けた人のようにぼんやり何時間か御言葉を聞いているうちに救いを確信した。

 

 これまでの間、アッコクトンに来て人々に福音を伝えて一緒に聖書勉強をしたが、心を開いて救われた人はひとりもいなかったが、その方は初めて救いを確信したのだった。その方は救われてふたりがひとつの心になったことを喜んだ。ソン・ウルスン姉妹の人生の生活はとても辛かったところに救われて喜び、私は村でいくら御言葉を伝えてもすべて野次馬で、心を開いて受ける人は誰もいなかったところに、ソン姉妹が心をぱあっと開いて福音を受け取りとてもうれしかったのです。

 

後で、その方がなぜイエス様を信じないと言ったのかについて答えました。

「イエスを信じるひとはこのように貧しく暮らしていると神様の栄光を隠すかと思ったからです。だからわざと信じないと言ったのです

その後私はたびたびソン姉妹の家に行き御言葉を伝えて、ソン姉妹もたびたび私の家に来て聖書勉強をした。

「聖書勉強が遅く終わり帰り道キツネにあって手を焼いた」と話し

「早朝に来ておおかみに会った」とも話した。

毎日その姉妹のために祈り、

「これは姉妹に伝えてあげなくては」という思いがした。

 

 ソン姉妹の夫は目が見えない方で、その家はとてもみすぼらしかった。その方は御言葉で罪を指摘してあげても

「私にどんな罪があるのですか」と言いにっこり笑った。人間的にとても善人であって、いっこうに怒るのを見たことがなかった。だから福音を伝えることができなかったのですが、ある日聖書を持って訪ねると

「伝道師様、来られましたか」と言いさっさと這い出してきた。私が話をすると座っているところに食べ物を置いて目をまばたかせるだけで、まったく反応がない方だったが、心ががらりと変わったのだ。

 

以前の夜大雨が降って特に堤防が決壊して、夜に水がだんだん満ちてきて、ソン姉妹は商売に出ていなかった。姉妹が村へ商売に出ると普通は一週間や十日後に戻ってきた。ひとりで怒鳴っても村外の一軒家にも聞こえないし、目の見えない方は夜通し子供たちを抱いて、こっちの部屋に行ったりあっちの部屋に行ったりした。

『私が今日子供たちを死なせてしまうか』という思いがして

「神様助けてください。神様助けてください。」と言うのだが

『神様は罪人の祈りは聞かない』と言った私の話が思い浮かんだのだった。

だから、「その時私がなぜ伝道師様に罪がないと言って救われなかった」と後悔して夜を過ごした。幸いに夜が明けて雨がやんで水が引いた。そうするうちに私が訪ねると

「伝道師様」と言いながら私の手をしっかりつかんだのだった。その日福音を伝えその方は救われた。そして後で息子娘たちもみんな救われて変わるようになった。

 

続く >>>6 ただ、聖書勉強を始めてください

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 宣教学校からアッコクトンへ

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 (韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

 

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様一人だけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。 キリストの香りが漂う物語

 

 宣教学校からアッコクトンへ

 救われる前はとても苦しい生活を生きてきたが、宣教学校で神様は再び私の心をいつも低くされた。宣教学校で御言葉を聞く時間はとてもよいが、問題は私が御言葉を伝えて救われる人が生じないことだった。午前は聖書勉強をして午後は市内に出て伝道をするが、他の学生は御言葉を伝えると救われる人が現れてその証をするが、私にはそんなことは全く生じないので心がつらかった。

 

私が訓練を受けたあと伝道師になるには、聖書もたくさん知るようにして祈りの応答も受け、説教もうまくできるようにしないといけないが、何よりも重要なことは恵みがなければいけない。罪の中で苦しんでいる人々に御言葉をよく伝え、彼らの心の罪がきよめられ生まれ変わる働きが起きなければいけないのに、それができないのでとても苦しかった。ある時はもどかしい思いで、ひとりの人をつかまえて、創世記からヨハネの黙示録まで知っている御言葉をすべて話したが、救いの働きは起きなかった。

 

主日礼拝の時間には人々は前に出て救われた証をした。

「宣教学生の誰々が私に御言葉を伝えてくれた。その御言葉を聞いているうちに私の罪が雪のように白くきよめられました。」

「私が今まで知らなかった御言葉をある宣教学生が教えてくれた時、その御言葉の恵みを受けて私が変わるようになりました」

・・・・。

 

多くの人が証をしたが

「私はパク・オクス兄弟から御言葉を聞いて罪が赦された」という証をした人はいなかった。ある時、ひとりの青年に会い

『この青年が生まれ変わるように導かなければいけない』という悲壮な思いで聖書の話を熱心にした。

「私たちがなぜ罪人であり、どのようにして私たちの罪が赦されるのか」ということに対して何日もの間御言葉を伝えたがその青年は無関心で、私が御言葉を伝えても遠い山を見上げたり時計をのぞき込んだり、こっくりこっくり船をこぎ始めた。御言葉を伝えたぶん力が抜けてしまった。あとで到底御言葉を伝える力が出ずに、結局送り出した。

 

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そうであったが、その次の主日礼拝の時間にその青年が出て証をした。私は

『もしかして、この青年は私が伝えた御言葉をあとで悟り変化を受けたのかな』と思い緊張して証に耳を立てた。しかし、その青年はこのように証した。

「パク・オクス兄弟が話をした時は頭だけ痛くひとつもわからなかったが、兄弟の誰かが話をしてくれたので、そんなに簡単なことはなかった。私の罪がすべて洗われたことがこのように簡単に悟ることができて、とてもうれしく感謝します。

『まったく、人の心を踏みつけてあんなに血なまぐさく踏みつけられるのか』という思いがした。それほどさみしいことはなかった。

 

いつのまにか宣教学校の訓練はすべて終わり、私たちは伝道師になり外国の宣教地へ出ていかなくてはいけないのだが、宣教師様は

「外国へ行く前に韓国の予備宣教地で試しに牧会するために行きなさい」と言った。その時他の兄弟たちは行くところがあって、みんな行ったのだが、私は行くところがなかった。私を伝道師として認めてくれる人もいなかった。

「私たちの村に来て、あるいは私たちの教会に来て御言葉を伝えてください」と頼む人もいなかった。出て行く時は出て行かなければいけないのだが、行くところがない、という必死な心の言葉ですべてを言い表すことができなかった。兄弟たちはカバンを荷造りし、これからの計画を立て、お互いに住所を交換したが、私は漠然とするだけだった。神様を見上げても応答をしてくれそうもなかった。私が知っているところは、故郷の慶北善山(キョンブクソンサン)、宣教学校の訓練を受けた大邱、その次は以前伝道旅行に行ったアッコクトンとい深い山奥の村だけだった。しかたなく、アッコクトンへ行く決心をした。

 

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アッコクトンへは今では大邱から市外バスで1時間もかからないが、当時は4時間かかった。4時間の間バスが舗装していない道路をガタガタしながら走りアッコクトンの入り口に着いた。私が降りるやいなやバスがさっさと行ってしまい、心がうつろで空しかった。その時

『♪誰も私を探す人はいないさびしいこの山奥の紅葉だけが重なって落ちて積もっているね』という歌の歌詞を思い出したが、私の身の上にぴったりだった。

 

アッコクトンは3つの村で成り立っているが、一つの村が30戸くらいだった。昼に行くと大人たちはみんな野原に働きに出かけていないので村は子どもたちだけだった。今は理解できるが、その時は神様がなぜ私にこのようなことをされたのかまったくわからなかった。神様は私を用いるために、まず私の心を低くしなければならなかった。

 

車の運転をしていて前に障害物が出てくれば、ブレーキを踏んでハンドルを回さないといけないが、その時ハンドルが回らなくて全力でやっても少ししか戻らないなら、どうしてその自動車を乗ることができるだろうか。主は私たちを用いるとき私たちが強情で主観が入っていて硬くなっていたら用いることが難しい。主は私たちの心を一度戻しても、またもとに戻り、再び戻してもまたもとに戻るなら、一生相撲を取っているだけして終わるようだ。だから、神様はご自身が用いられる人を自分の強情や努力が入らないように、心を空にして低くされる。宣教学校で、アッコクトンで神様は私を低くし空にされた。

 

 

続く >>>アッコクトンでの最初の実

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」無銭伝道旅行を通した 信仰の訓練 その2

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」 (韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様一人だけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。 キリストの香りが漂う物語

 

3 無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その2

 少し後、宣教師様が再び無銭伝道旅行に送られた。 今回は伝道組が変わって他の兄弟と二人で青島(チョンド)、密陽(ミリャン)側に行った。 飢えたり食べたりもして青島まで行って、青島で大邱(テグ)に向かっていく中に日が暮れた。 伝道しながらも心には「今夜はどこでご飯を食べて寝るのだろうか」という考えだけだった。「神様がみな準備された」と話すが、信じることがないから目に見えなければ不安だった。 家々に入って伝道しても泊まって行きなさいと言う人がいなくて、結局私たちは歩いていくことにして青島で慶山(キョンサン)へ行くアスファルト道を歩いた。

 

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ミリャンを中心にした地図 コネスト地図引用させていただきました。

 しばらく歩いて見たら、星だけきらきら光るまっ暗な夜にある老人がアスファルトの上に倒れていた。 起こしてみると酒に酔っていたが、家がどこかと尋ねると「慶山(キョンサン)のあそこ」といった。 慶山(キョンサン)まではまだ三十里(一里約3.9Km)位残ったが、私たちは疲れてお腹がすいた。 それでもその老人を置いて行くことはできなくて肩で助けてお連れした。

 

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 しばらくして時々その方が「私の靴」確認して見ると靴が脱げていた。靴が脱げた時話さなければならなかったのに、しばらく行って話すと暗い道を探って靴を探すので困りきった。 それほど靴を探して履かせて行くのにまた「私の靴」と言った。 何度かそのようにすると、どれくらい腹が立つのか、そのまま放っておいて行きたかった。 それでもそうできなくてずっと助けてお連れしたが、慶山(キョンサン)を十里位控えてその方が酒から覚めて気がついた。

 

「いったいどのようにしてこの状況になりましたか」

「たきぎを取りに行ったのに…. 私もどうしてこのようになったのか分からないです」

「家が慶山(キョンサン)で合っていますか」

「合っている」

 

夜12時頃になって慶山(キョンサン)に入ったが、町内入口に街灯がつけていて街灯の下に青年たち5~6人が立っていた。 私たちが近付くとすぐにその中にある青年が駆け付けて「ああ、お父さん。 やっと来られましたか」とその老人に挨拶をして、私たちに尋ねた。

 

「先生、いったいうちのお父さんがどのようにしてこのようになったことですか」

「私たちもよく分からないですが、道に倒れておられておよそ三十里お連れしました」

「ありがとうございます。 夜が深かったが、はやく我が家に行きましょう」

 

その家で私たちのためにその夜にご飯を炊くが、食事の仕度をする間その家の家族に御言葉を伝えた。 ひとりが伝えればひとりはそばでうとうと居眠りして、そうするうちに眠りを誘えば再び隣の人を起こして御言葉を伝えるようにした。 そんなに御言葉を伝えて1時頃なるとご飯が出てきた。

 

 

下より上にさらに高く詰めた、峰が丸いご飯をすべて食べたら、その家の嫁がきて寝床を準備しておいたといった。 行ってみると息子夫婦が寝る部屋と同じだったが、その方はどこで寝たのか分からないが私たちはその暖かい部屋で睡眠を熟睡した。 朝起きるとその家の息子が私たちが大邱(テグ)に行くという話を聞いて駅に行って大邱(テグ)行き電車の切符2枚を買ってきた。

 

神様を信じることができないのが本当に愚かだったという気がした。 本来私は信仰がない人であったのに、イエス様の中で生活してみると、神様を信じなくても信じるしかないように神様が私に属するすべての部分を助けて導いて下さった。

 

続く >>>宣教学校からアッコクトンへ

 

グッドニュース誌 2017年 9月号 ソン・インモ兄弟(現在長老) 証 宝と土の器

グッドニュース誌 2017年 9月号 証 

文|ソン・インモ兄弟(現在長老)(グッドニュースソンジュ教会)

私はまくわうりをかぼちゃと言う

古い証ですが、印象に残った証なので掲載しました。写真を探しましたので更新して掲載します。 

 

証 宝と土の器

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ソン・インモ長老


酒と賭博に溺れていた青年時代

私はキョンナムのハプチョンのコンビンという村で、貧しい家庭の次男として生まれた。私たち家族は橋の下の離れた家で暮らしていた。ある日の早朝バスが家のすぐそばに転がり落ちて、乗っていた人たちが助けを求め家に入り込んできて、家族がとても驚いたことがあり、またある日には家の反対側にジープが落ちる大きな事故が起きた。私の親はこの家ではそれ以上住めないと思ったのか、私が9歳の時、母方の親戚がいるソンジュに引っ越した。

ソンジュでも、持ち家もなく賃貸で畑を借り農業を営む貧しい生活が続いた。父は酒と友達が大好きで母とよく喧嘩をしていた。『お父さんはなんであんな生活をしているの。 私は大人になったらお父さんのようにはなりたくない』と誓った。幼かった私は酒は飲まなかったが、友達とよく人の畑に入り果物を盗んだ。スイカ畑でスイカがなくなるといつも私が疑われた。

家は貧しかったし農業は自分には合わないと思って中学を卒業した後は金を稼ぐためと言って友達と都会に出た。金を稼ぎながら、酒と煙草と賭博を始めた。給料は酒代の付けを払い夜通し賭博をすると何も残らなかった。このままではだめだと思い、実家に戻り農業を手伝った。その頃、兄が(デドク教会のソン・チュンモ兄弟)軍隊で腰を痛め除隊した。ひとりでは横になることも立つこともできないくらい深刻な状態だった。父は兄を治そうと全国を周ったが治すことができず、結局手術を受けさせた。

 

「インモ、生きている人の願いを一度だけ聞いてくれない」

1981年私は貧しい家族を残し軍隊に入った。10か月ぶりに休暇をもらい家に帰ると家族は皆日曜日にテグにある教会に通っていた。兄は腰が完全に治り、とても明るい表情だった。家族が食事をする時無口な父が私に「神を信じ救われなければならないよ」と言って口数が増えていた。以前とは違って家の雰囲気が安らかで家族関係も良くなったように感じられた。2回目の休暇の時は父が酒を止めていた。母も変わっていた。以前は悪夢に苦し められて霊が見えると言って頭の上に包丁をおいて寝ていたが、救われてからはそんなこともなく幸せそうだった。しばらくして兄がテグ中央教会で結婚式を挙げた。生まれて初めて教会に行った日だった。 1984年2月、軍から除隊した。職業訓練所に行って技術を学ぶつもりだったが、 家の農事を手伝っていたとき腰を痛め動けなくなってしまった。痛みがひどくて寝ることもできなかった。当時テグ中央教会からオ・チャンミョン牧師とある執事が家庭訪問に来てくれたが、私は御言葉を聞くことが嫌で逃げ回っていた。父が一度だけ教会に行こうと言ったけれど断った。

そんな中、父が胃癌の末期判定を受けた。あんなに嫌いで憎かった父が3ヶ月しか生きられないと思うとあまりにもかわいそうで、人生がむなしく感じられた。それにも関わらず父は喜びながら私に伝道をし続けた。

ある日から父は3日間食事を取らなかった。癌のせいで痛みがひどく食事ができないのかと思っていたら、母から「インモ、死んだ人の願いは聞いてあげるのに、お父さんが生きられる時間はそう長くないんだよ。生きている人の願いを聞いてあげても良いんじゃないの。あなたが救われて教会に通うのがお父さんの願いなの。だから3日間食事もせずお祈りをしているの」と言われた。私は衝撃を受けた。 『救いとはいったいどんなものなのか、父が末期癌の苦しみの中であんなに祈るのは…』その週の日曜日私は家族と一緒に教会に行った。

何日か後にハミャンで行われた夏の修養会で福音を聞いて救われた。イエス が私の全ての罪を贖ってくださったということを思うと、帰りのバスから見える外の景色がとても美しく見えた。救われて4か月が過ぎた頃『イエスは私の罪だけで なく、私の病もすべて負われたのだ』という信仰が生じ、それから間もなく腰が完全に治り悪い習慣も全部断つことができた。不思議だった。それだけでなく友達 に会うとイエスの話が自然と出てきて、私が救われた2ヶ月後父が亡くなった。父は 亡くなる1週間前まで親戚と友達を訪れ伝道していた。 『イエスは私の罪だけでなく、私の病もすべて負われたのだ』という信仰が生じ、それから間もなく腰が完全に治り悪い習慣も全部断つことができた。

 

牧師を無視しながら生きていた時代

救われ、福音が好きで1986年にテグ中央教会で1年間宣教学校の授業を受けた。 しかし毎日人に会って伝道する生活が負担になり、当時の私は牧師の話を聞く心がなかったので『私はだめだ』と思い自分で決め実家に戻ってしまった。その後、1988 年に結婚し、農業を始めようと思った。自分は怠け者だから農業が合わないと思っていたけれど、『神が農業をさせてくださるならやろう。人が嫌う農業だけど神と共 にすれば幸せだろう』と心を決めて農業を始め、唐辛子、まくわうり、稲など複合営農をして、その後まくわうりだけを育て始めた。

1993年にソンジュにも教会が開拓され、10人ほどの兄弟姉妹たちと一緒に信仰生活を始めた。当時私は祈りの答えをもらえることが上手な信仰生活だと思っていた。たまに御言葉を悟り、祈りをして、答えをもらうと、教会を導いていた伝道師に「 伝道師も私のように祈りをして答えをもらいながら生活してください」と言って伝道師を無視した。神のしもべに従うということがどういうことか分からず、教会が信仰 で福音の仕事をしようとする状況を前にして、兄弟姉妹たちと教会のため争うことが絶えなかった。20年間そのように生きて、自分は信仰が良い人だと思っていた。

 礼拝堂を建てるために土地を購入して10 年が過ぎるまで礼拝堂を建てられずにいた。建築の許可が下りないから建てられないと思っていたが、実は負担のため 建てられずにいた。今振り返ってみると牧師を無視して価値のない自分自身を信じ生きていたので私はずっと福音を邪魔することばかりしてきた。

 

 御言葉を大きく思う心を作ってくださった

2013年、パク・オクス牧師は宣教学生たちと一緒にキョンブク地域の教会を巡回した。 『神が農業をさせてくださるならやろう。人が嫌う農業だけど神と共にすれば幸せだろう』と心を決めて農業を始めた。その時はグッドニュースイソン教会におられ、私もそこに行き御言葉を聞いた。パク牧師はグッドニュースチョンソン教会の礼拝堂を立てた証を聞かせてくれた。聖徒2人で1人は短期宣教に行き、残っている聖徒は1人だけだったが神が喜ばれることだから礼拝堂は建てられたとおっしゃった。人工衛星から朝鮮半島を撮ると韓国の方は明るくて北朝鮮の方は暗い、神は我が宣教会の場所をそのように明るく見ておられるとおっしゃった。私は 『私たちの教会は小さく、兄弟姉妹の人数も少なく建築は無理だろう』と思 っていたが、『神はソンジュにも礼拝堂を建てることを喜ばれるはずだ』という心が生じた。

2014年の夏、礼拝堂建築を始めた。まくわうりの収穫時期でとても忙しかったが、神が一つ一つの工程を助けてくださるのを見てとても幸せな夏になった。自分の家を建てる時よりも幸せだった。礼拝堂建築が終わるとイエスが来られる日まで教会の庭を掃いて、草を取りながら生きることも幸せそうで、しかし、何か月も経ってないうちに牧師に逆らう以前の習性がまた出てきた。 『教会で庭を掃いて、草を取りながら暮らそうと思っていたのに、なぜできないんだろう』ある日、教会のキム・ヨンウク牧師が私に教会に来なくても良いと言われた。あまりにも腹が立って、一週間そればかり考えた。礼拝堂を建てる時、奉仕や献金をしたことを思うと心が寂しかった。牧師のところに行き心を打ち明けた。すると先生はとても喜ばれた。それまでは自分の良い姿、うまく何かをしている姿を持って牧師の前に出たが、その日は自分の本音を持って前に出たので牧師が喜んでくださったのだ。その時から教会の声が聞こえ始めた。

 

エスを一番にして福音を伝えることがとても幸せだった。 2015年2月26日、礼拝堂の建築が終わってお祝いの礼拝を捧げた。その日パク・オクス牧師はマタイの福音書13章44節の「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)という御言葉を伝えた。牧師は「信仰は発見することです。宝を発見した人はあまりにも嬉しくて自分の財産を全部売って畑を買います。私はその宝を発見し、その宝で生きています」と言われ、「我が宣教会の中で大変なこともたくさんありますが私のように幸せな人がほかにいますか。 信仰はとても簡単で楽 しいことです」と言われた。私の幸せは状況によって変わるのにパク牧師はいつも幸せだと言われた。その御言葉を聞いて何年か前のことを思い出した。

 礼拝堂を建てる前だった。ソンジュでは4,500軒の農家がまくわうりの農 業を営んでいるが、その年まくわうりのシーズンが終わってからテグの新聞 に「ソンジュのまくわうり、お祝いムード」という記事が載せられた。その年の収穫量が良くてソンジュの全体の売り上げが相当上がり、その中で売り上 げ1位は「ソン・インモ」だと書いてあった。学生時代いつも最下位だった私 が4,500人中の1位になって本当に嬉しく町中を自慢しながら回った。しかし不思議に夜になり眠ろうと布団の中に入ると幸せな心は全部消えむなしさだけが残った。まくわうりの農業が好きで、それが自分の人生のすべてであるかのように生きて、それで最高の位置に登ったけれど幸せではなかった。牧師の話を聞きながらその時のことを思い出した。

『そうだ。農業がだめになったら一度牧師のように生きてみよう。牧師はイエスと福音を宝だと思って生きているので私もイエスを一番目に置いて、まくわうりを2番目に下ろして福音を伝えながら生きてみよう』と心に決めた。 建築祝いの礼拝が終わる時パク牧師はまくわうりの農業を営んでいる兄弟たちの仕事がうまく行って福音が伝えられるようにしてくださいとお祈りをしてくださった。兄弟姉妹たちが「私たちのまくわうりが目立って、私たちが遊んでも農業はうまく行く。だから福音のために生きましょう」と証をした。その時から私も福音を伝え始めた。ビニールハウスの横にある古びたコンテナをカフェのように改築し、私の農場の技術を学びにくる人たちに「農業は技術だけ知るのではなく、心を学ばなければならない」と言って福音を伝えた。当時の農地の規模は5千坪(現在は7 千坪、国際規格のサッカー場の3倍程度)だったので、やらなければならない仕事はとても多かったが、誰が訪ねて来てもまくわうりは後回しにして御言葉を伝えた。3ヶ月ぐらい福音を伝え救われた人は1人もいなかったが、それでもとても幸せ だった。

 

私は、やはり酔っ払いで問題を起こす者だった

 ある日、大手会社で務めて定年退職をした後ソンジュに帰ってきた先輩に会っ た。まくわうりの農業を学びたくて友だちの農場を訪ねたら、友だちから止められたので私を訪ねたのだった。

『インモ、私もまくわうりの農業をしたいけど、あなたはどう思う?』

『まくわうりの農業は本当に楽しいです。やってください。私が全部教えます。』

 先輩と話をしていると、先輩が突然昔の話をした。

『あなたのお父さんとうちの親父は、よく酒を飲んでいてその度に次男のことを思うと頭が痛いとおっしゃっていた。インモは問題を起こす者だって』 福音を伝えている間、神は私の姿を見せてくれた。

その時まで私は父の方が問題で、私は父よりはましだと思っていた。しかし、私の方が問題を起こす者だとその時分かった。自分なりに信仰生活を していて信仰で生き、教会に私がいないとうまくいかないと思っていたのに、 違った。私は教会をダメにして神の働きに邪魔をする人であった。福音を伝 えている間、神は私の姿を見せてくれた。

 献堂礼拝の後、3ヶ月が経った6月のある日、パク牧師が孫たちとまくわうりの収穫に来られた。キム・ヨンウク牧師からパク牧師の隣でずっと証をするように言われたのでそのとおりにした。『先生、15年前に先生がグラシアス合唱団は、世界一の合唱団になるとおっしゃったとき、私もその信仰を真似したらグラシアス合唱団が世界一になったときに、私もソンジュで第一のまくわうりの農業している者になりました』まくわうりの収穫をしていた牧師は大きい声で『アーメン!』と言い、喜んでくれた。まくわうりの収穫が終わり、 教会に帰るときも、ずっと証をした。『先生、うちの親父が酔っ払い者だったので私は、親父のようになりたくなかったですが、私も酒が好きです』牧師はうなずいて聞いた。

 その日、バク牧師がソウルに行くときグッドニュース・スウォン教会に寄って 『ソンジュのソン兄弟は、酔っ払い者だったけれど、完全に変わりました』と おっしゃったと聞いた。 「私は酔っ払い者ではなく、ただ、酒が好きで父が酔っ払い者だったのに」

 もう一度考えてみたら私は酔っ払い者であった。神が掴んでくれなかったら私は父より深刻な酔っ払い者になったからである。

 パク牧師の奥さんも「ソン兄弟の顔が明るくなったね。 昔はひねくれていたのに…」とおっしゃった。自分が問題を起こす者、酔っ払い者でひねくれている人と認めたら心が自由になった。昔は信仰が良くて信仰生活もできて聖書をよく悟る人だと思っていたので信仰が大変だったけ れど、自分がダメな人だとわかると御言葉がそのまま入り、変わることができる人になった。パク牧師がまくわうり農場を訪ねた後、私に対する期待が消えて神だけを見上げるようになった。

 

 福音を第一順位にしたとき、得た初の実

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イ・サンウ兄弟

自分の生活で福音を第一順位にしてから、福音を伝え初めて救われた人がイ・サンウ 兄弟である。ある日、隣の農場でまくわうりの栽培を手伝っている時、プレハウスでひとり生活しているイ・サンウさんが、酒に酔っぱらって歩けない状態で私に話した。『兄貴、私 を助けてください。ここで救ってください』『あなた、私の話どおりにする』『はい、します』  

私は彼にパク牧師の本<罪の赦し・生まれ変わる秘密>を渡した。 数日後、パク牧師がまくわうりの収穫に農場にいらっしゃったとき、彼に牧師を本の著作者として紹介した。彼は酒が飲めなくなるまで酒ばかり飲む人であった。そのようなイ・サンウさんも夏の修養会に参加して救われた。イ・サンウさんは、牧師の心を受け入れて足を踏み出してから5か月ぶりに得た初の実であった。彼を知っている人たちは、酔っ払い者だった人が変わり、農業をしている姿を見て驚いて私を訪れる。兄弟を通して神が働くことに感謝している。

中小企業の工場長として働いて退職してからソンジュに来たキム・インギュさん夫妻も イ・サンウ兄弟を通して教会とつながり救われた。キム・インギュさん夫妻は、農業がうまくいかなくてまくわうりの専門家にまくわうりの農業を学ぼうと思っていたところでイ・サンウ兄弟に会って、彼が私を紹介したのであった。私は夫妻に『まくわうりの農業は簡単です。 一緒にすれば良いです』と私の農業法を説明してあげた。一週間に一度教会に来て兄弟 姉妹たちの幸せな姿を見て心が開かれて奥さんの方が先に修養会で救われてご主人の方も救われた。

 

『新聞社に行ってみてください』

ある日は、キム・ヨンウク牧師からソンジュ新聞社に行ってみてくださいと言われた。3 年前、礼拝堂を建てるとき忙しかったが、<グッドニュース誌>に<ソン・インモのまくわうりの話>を連載したことがあり、牧師はそれを覚えていてソンジュ新聞社にその文を紹介すればいいと言った。『私のような人が書いた文を誰が新聞に載せてくれる』と思ったが、牧師の言葉に従ってソンジュ新聞社に行った。自分が書いた文を渡してきたが、一週間後、新聞に私の文が掲載された。そして、外部の執筆者になっていつでも文を掲載することができるようになった。牧師の心に従うとそのとおりに神が成し遂げることが驚きで感謝した。2016年には、私のコラムがソンジュ新聞に5回連載され、そして、パク牧師のコラムも提案して今まで連載されている。農業がうまくいくかいかないかに関係なく、人々に福音を伝えて農業法を教えたとき、人々が望みを持つようになることが私の幸せだった。

 

『一人だけ恵みを受けてうまくいくのも罪です』

 教会でまくわうりの農業をしている農家は、私を含めて5組(現在は8組)だった。し かし、昨年2組の農家が完全にダメだった。キム・ヨンウク牧師は『パク牧師がまくわうりの農業をしている兄弟姉妹たちはみんなうまくいくとおっしゃったのに、ソン兄弟だけがうまくいくことはおかしいです。一人だけ農業がうまくいくことは罪です。農業法を他の人にも教えてください』と言われた。私は自分が何かが良くできたより、ただ、恵みを受けたのでうまくいったと思ったが、牧師は私が罪人だとおっしゃった。パク牧師の生き方をもう一度考えてみた。牧師は他の人の幸せと喜びのために生きる方である。それに比べたら私は、自分の生き方に福音を第一順位にしているものの、相変わらず自分の幸せと自分の喜びのために生きていた。「これからは、牧師のように人のために生きる」と心を決めた。そして、今年初め、マタイの福音書13章44節の御言葉から 「宝」と名付けた集まりを作り、農業に失敗した人たち10人を集め、自分の農業法をそのままマネできるように教育を始めた。

 

私は世界一のマインドを持つ農夫である

そのころ、パク牧師先生が大学生の集まりで「ソンジュでまくわうりの農業をしているソン・インモ兄弟は、世界一のマインドを持って農業し、講義をしてまくわうりの農業を引っ張っている」とおっしゃったのを伝え聞いた。『私が世界一だって。ソンジュのまくわうりの農業を引っ張っているって。まくわうりの農業の講義もしていないのに』

 教会に行ってキム牧師先に話すと『そのとおりです。そのようになります』と言われた。考えてみると私のように幸せな気持ちで農業をしている人はいなかった。農業は大変なので子どもたちが農業をすると言うと止めるが、私は自分が農業するのが幸せだから息子にも幸せな自分の心を言っていた。人のために農業をするのが世界一のマインドではないか。パク牧師がおっしゃったとおり、私は世界最高のマインドを持つ農夫であった。

その後、ソンジュ郡庁でまくわうりを広報するために「ソンジュ郡が選んだ今年のまくわうりベスト10」を決めたが、私はその中に入った。授賞式に参加し、認定杯も貰った。そして、新品種を紹介する行事が行われる場所に集まった700人の農夫たちの前で講義もした。講義が終わるとたくさんの人が私を訪ねて名刺と農業法を学びたいと言った。ある方は昨年の新聞に載った私のコラムを読み、会うのを楽しみにしたと言った。パク牧師がおっしゃったとおりにならなかったことがなかった。とても不思議だった。

 私の思いで、自分は正しいと思ったときは、幸せも実もなくて周りの人を傷つける者だった。その後、パク牧師の御言葉を聞き「私も牧師のように生きてみよう」と心を変えただけなのに今は、礼拝の時間に毎回、証をするくらいに証が多くなっ た。

 

 聖書で学んだ知恵で農業を営む

 私の農業法を「平安農法」と名付けた。人々はよく実が結ばれるために作物に手を加えるが、私は聖書の知恵で農業をしているので心配しないでも枯れずに農業がうまくいくからである。聖書には4種類の畑の話が出ている。道端、岩地、いばらの畑には良い種をまいても実らないけれど、良い地には実るのを見てどんな畑に種をまくのかが大事であることを知った。そして詩編1章3節『その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしてもさかえる』自分の心のベースは御言葉に置かなければならないのを知った。ローマ書11章16節の『初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。』御言葉で根が大事だと知った。それで、根が良くなるならばどんな方法でも受け入れた。

パク牧師がグラシアス合唱団に世界一の合唱団になるとおっしゃったとき、「 私もソンジュで一番だ」という信仰でまくわうりの専門家を訪ねて聞いて学んだ。 日本に行って農場を見学して、根っこの大事さと畑を良い地に変えるために堆肥を作る過程を学び、真似した。農業は簡単なことではなかった。千種類の条件が合わなければならないからである。それで、農作業がうまくいかない場合は牧師と交わり、お祈りしてもらい自分の問題を神にゆだねて私は休んだ。

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 信仰はかぼちゃの根にまくわうりの枝を接木すること

少し前に、教会を離れたある兄弟が私のところに訪ねて来たので、このような 話をしてあげた。

「ずっと実を結ぶまくわうりがあって、結んだり結ばなかったりするまくわうりがあるんだ。聖書でも葉のほかに何もないイチジクの木をイエスが呪うと木が枯れ たよね。 なぜ実を結べなかったか知ってる。それは根がないからだよ。根が良い木は実を結ぶんだ。私も前は根のない信仰をしていた。その時は周りの人に苦しみを与え、教会に敵対し、自ら滅びることばかりしていた。ところがある日、パク牧師が生きる人生に心から会って、その心を受け入れて生きてみると私も変わって、 私と会う人も生きるんだ。『私の若さを捧げ、彼らの心を掴みたい』というグッドニ ュースコアのモットーのように、自分のものを売ってほかの人のために生きるようになった。パク先生のように生きてみようと決心すると、その時からソン・インモではなく、私からイエスが現われて実が結ばれたよ」

その兄弟は私の証を聞いて衝撃を受け心が立ち返った。本当にありがたかっ た。

私はまくわうりをかぼちゃと呼ぶ。まくわうりの根は弱くて冬の寒波に耐えられず死んでしまうが、かぼちゃはどこに植えても根が強くてよく育つ。そのためかぼちゃの根にまくわうりの枝を接木して育てている。信仰も同じだと思う。信仰は100 メートル走の短距離ではなく、42,195キロメートルを走るマラソンのような長距離競技である。この世を去る時まで信仰生活を続けるためには自分自身ではできな い。イエスに接木され神のしもべの人生とつながっていなければならない。

 

神のしもべの心とつながってから

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2017年6月グッドニュースソンジュ教会を訪問されたパク・オクス牧師一行と兄弟姉妹たち

パク牧師が今年の6月まくわうりの収穫に訪れた時、「ソン兄弟、まくわうり農業ばかりしないで海外に出てマインド講演もやって福音も伝えてください」とおっしゃった。『私のような人が講演なんて』と忘れてしまったが、教会の導きで8月にメキシコのワールドキャンプで1時間公演をした。メキシコ教会の兄弟姉妹たちが心を尽くして教会に仕え、宣教師たちが今回のキャンプが最後であるかのように自分のすべてのささげキャンプを準備し、神がご自分のしもべを通して福音を力 強くあらわすキャンプを見てとても感謝で感激した。

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グッドニュースソンジュ教会

2年前、建築祝いの礼拝のときには、わが教会の兄弟姉妹は15人程度だったの に、2年間に2倍以上増えた。多くの人が私たちとつながって救われることに本当に驚きを覚える。私によるものは一つもない。私はただ神のしもべの人生をまねしただけなのに、神のしもべの心とつがってから神が私にも驚く働きをなさっていると思うと本当に感謝である。

 

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星州郡(ソンジュ)地図。大邱(テグ)に近い。コネスト地図から引用させていただきました。 

パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」  無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その1

パク・オクス牧師 証集「からし種ひと粒」(韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様ひとりだけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り

空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。

キリストの香りが漂う物語

 

3 無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その1

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救われて信仰生活をしていて、困難が近づくたびに神様が共にされるという信仰がなくて私は心配や憂いで生きた。 ところで宣教学校で私たちを訓練された宣教師様はその時まで私が知っていた信仰とはとても違う信仰を教えられた。

 

「家からお金を持ってきたり、金を儲けてもいけなくて、他の人に金がないという暗示をしてもいけない」と言われた。 それと共に「ご飯を食べて、バスに乗って通って、ノートを買って使え」とのことだった。 その時はわが国が経済的に難しかった1960年代初期なので、私たちは「アメリカ宣教師はお金が多いから、私たちを助けて、宣教学校に行けばチョコレートやコーヒーやサンドイッチも食べて訓練を受けるだろう」という期待を持った。

ところがその方は何も与えなくて、ただ「全てのものを神様に求めなさい」と言われた。それで私たちはしばしば飢えた。

 

事実、私たちはその時まで神様に祈りはしたが、神様が私たちに必要な全てのものをくれる、という信仰がなくて漠然とした中にあった。 祈りながらも、「誰かがお金少し送ってくれないかな。 家でお父さんが米を少し送ってくれないかな」という人間的な考えでぎっしり埋まった。思いがけなく食物が入ってきても、「本当に神様が私の祈りを聞いてくれたことか、でなければ人々がただ私たちを同情したんだろう」とよく区分できなくて考えが混迷するようになったりした。

 

ある日宣教師様が「君たちは来週月曜日から無銭伝道旅行に行くので、今週一週間祈って準備をしておきなさい」と言われた。次の週月曜日朝になって、宣教師様が私たちを呼び集めた。 宣教師様も無銭伝道旅行にいらっしゃると韓国語になった伝道誌を一包み包んで置いた。 出発する前に宣教師様がポケットに手を入れるので「私たちに旅費をくれるのか」と考えたが、お金を取り出して中に置かれた。

 

今ならば千ウォンの何枚かの、多くないお金だった。そうしたところ「君たちもこのようにしなさい」と言われた。 救われる前に既成教会の牧師であった方が私と同じ組だったが、他の宣教学生たちのポケットでは小金しか出てこないのに、その方のポケットからはかなり多くのお金が出てきた。 私の気持ちがどれくらい痛んだのか。 宣教師様はまもなく兄弟ひとりにさせて「その金をみな献金箱に入れなさい」と言われた。 そして各組行くべき地域を指定して下さった。

 

「一週間後に帰ってきなさい。 私は君たちと一緒に行かないので分からないが、神様は皆知っているので、絶対に人々に手を広げたり助けてほしいという暗示もせずに神様だけを求めなさい。 君たちが本当に神様のしもべならば神様が助けられます」

 

みんな一文なしで出かけ、宣教師様も無一文で韓国語も分からなくて風呂敷に安い伝道誌を持って歩いていかれた。

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私たちの組(三人)は浦項(ポハン)に行かなければならなかったが、大邱(テグ)から出発して霊泉(ヨンチョン)ぐらいまで行くとお腹がすいた。 お腹だけすいたのでなく「今夜はどこで寝ようか」という心配が山積のようだった。 家ごとに通って伝道したが、私の心には伝道よりも「誰かがご飯ちょっと与えてくれないか。 寝て行けと言わないか」という期待しか入らなかった。 「主よ、どうかこの家で寝て行くようにして下さい」という心なのでそうなのか、御言葉を伝えても人々が聞かないで「分かるからもうそろそろ行け」と言った。

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(コネスト韓国地図から引用させていただきました。とても便利な地図です。)

 

夕方九時半になると町内がほとんど寝ついた。 薄情な気がしてその町内を離れて再び浦項(ポハン)方向に歩いた。 明け方三時まで歩いたが、お腹もすいて疲れて眠気がきて…。同行する牧師であった兄弟に「兄弟、私たち橋の下ででも少し寝て行きましょう」「そうしよう、パク兄弟、少しだけこらえましょう。 神様が私たちのために用意されたでしょう」と言うが、私はとうてい耐えられなかった。 明け方三時頃になって霜がおりるとすぐに寒くて震えることさえした。 道端に礼拝堂が一つあって私は「私たちあちらに入りましょう」とその兄弟を引き寄せて入った。

 

田舎教会だったが、入ってうつ伏せになって祈る姿勢で寝た。 しばらくして明け方祈祷会時間になって人々が集まったが、私は祈祷会を終えるようにうつ伏せになって寝た。 ところで誰かがご飯食べると言い私を起こして思わずついて行った。わかったことは、その教会の伝道師様と牧師であった兄弟が知り合いであった。

 

用意されたご飯をいっぱい食べて再び出発した。 だが、神様がご飯をくれたという心は別に入らなかった。 浦項(ポハン)から安康まで行って伝道する時には、不思議に「我が家にきてご飯食べて寝て行け」という人々がいた。 それでも私の心には「私たちがあまりにも哀れに見えるから、そうするということだよ」という気がして「神様がされた」という心は入らなかった。

 

旅程をみな終えて最後に安康(アンガン)から大邱(テグ)に行くべきなのに、私たちが持っていたお金は私たちの三人が安康(アンガン)から慶州(キョンジュ)まで行くことができる金額であった。 それで慶州まで行く電車の切符を買って電車の中で伝道をした。 慶州駅でおりたが、ある方が私の背中をドンドンたたくと私たちをちょっと見ようとした。

 

「私が今日先生にお昼を買って差し上げたいのですが」

その時はじめて「これは本当に神様がしたのだ」という気がした。 神様に感謝する気持ちでその方に従っていった。 その方は私たちを自分が知っている食堂に連れていったが、その日が休日なので食堂の門が閉められていた。 他の食堂に行ったがそこも門が閉められていたし、行く食堂がことごとく門が閉められていた。

 

するとその方が時計を見ていて「私が先生に必ずお昼を接待したかったが、酒場の他にはレストランがみな門を閉めましたね。 酒場に行くことはできなくて、また、私が今忙しくて…。お金を差し上げるからお昼を買ってください」とお金を与えて行った。 私たちはその方に挨拶した後、お金を数えてみた。

 

かなり多くのお金だった。 その金でまず電車の切符を買った。 大邱(テグ)まで行く電車の切符を買った後で三人がジャジャン麺をひと皿ずつ買って食べたので、お金が一ウォンも足りなかったり残ったりしなかった。 その日慶州市場のかなりの食堂の門がみな閉じられたのも神様が準備されたことだった。

 

続き >>>無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その2

 

 

 

パクオクス牧師  著書 からし種ひと粒 序文

からし種ひと粒

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初版 2007年2月26日 韓国語版

序文

使徒の働き3章を見ると、聖殿の美しの門で物乞いをしている足なえの人が出ています。その日もいつもと違わず、彼は物乞いをするために、他の人々によって聖殿の美しの門に入ってきた。彼が物乞いをするために聖殿の美しの門に来たとき、万一神様が彼のために準備された計画を知っていたとしたら、どれほど驚いただろうか?万一自分がペテロに会って、歩いて立ちあがることができる事実を知っていたとしたら、彼はその日の朝、興奮を隠せなかったはずです。しかし、彼は何も知らず前日と同じように美しの門に来て、ペテロに会って歩いて立ちあがることができて彼の人生が変わった。

 神様はすべての人に真の変化を許してくださいます。だから、神様はいつも人々に対して計画を持っているが、私たちはその事実を知ることができない。足なえの物乞いの前にペテロを計画して準備された神様は、私の人生の前に計画を立てておられることを知ることができます。

 月刊「グッドニュース」に載せた「からし種ひと粒」の証を編集してみたら、今再びその時を振り返ってみると、その時は知らなかったけれど、神様は私を愛されて、私の人生を計画していたことを知り、恵みによって私を導いた神様を思う時本当に感謝します。

 私は、読者一人一人が足なえの病人のためにペテロを準備した神様、私の人生を計画され福音のために生きるように導いた神様は、この文章を読むみなさんの人生も計画し導かれることを知ることができるように願います。そして、みなさんの人生に神様の御心が成就して暗闇から逃れ、明るく輝く人生を歩むことを願います。

 この本を通して読者一人一人が神様にもっと身近に出ていくきっかけになるように願い、私を導いた主、これからも私を導いてくださる主に感謝と栄光をささげます。

 

グッドニュースカンナム教会 牧師  パク・オクス

 

 

続く >>>兄弟はお父様がいらっしゃいますか?