宣教師の手記_キム・ハクチョル宣教師編 (4話)その1
グッドニュース宣教会
2020年4月号グッドニュース誌(韓国語から転用させていただきました)
宣教師の手記_キム・ハクチョル宣教師編(4話)その1
タイの宣教の開始、落穂を取る気持ちで
1996年、キム・ハクチョル宣教師は、教会の指導に従ってタイへ宣教のために韓国を離れた。宣教の初期には不足しているものも多く、タイの言葉を学ぶことも難しく、蒸し暑い国で歩いたりバスに乗って通うことも容易ではなかった。しかし、神さまの手がすべての疲れを忘れさせ希望の中で暮らすようにしてくださった。
軍を除隊して宣教学校で少し訓練を受けた後、1988年4月に結婚して最初の教役地はグッドニュース武昌浦(ムチャンポ)教会に派遣された。武昌浦教会を開拓して8年間教役していたが、グッドニュース鞍山(アンサン)教会で牧会していた時の1996年に、中国で行われた修養会に参加した。
修養会を終えて韓国に到着すると会う人々がお祝いと挨拶をした。わかったことは私が宣教師として派遣されるということだ。びっくりした。私は宣教師になると一度も考えたこともなく、祈ったこともなかったからである。
一体何が起こったか気になって周りの牧師たちに聞くがこのような話を聞いた。私の中国修養会に行く直前に韓国修養会に出席して、教役者20人と一緒にグループ交わりを持ったことがあった。その後私がちょっとトイレに行った間に、朴玉洙牧師と相談していた牧師が私たちのグループに来て、「あなた方の中から宣教師に行きたい方は手を上げてみてください。」と言った。
みんなうなだれ互いに顔色を見ているが、ある牧師が「キム・ハクチョル牧師が宣教師になるために祈ると言われた」と述べた。そうして私は宣教のために祈っていると朴玉洙牧師に伝えられたものである。話を聞いて心の中で傷ついた。 「自分が行かないのならじっとしていればいいのに、なぜ私を推すの?
次の2次修養会が始まった日修養館に直接、朴牧師を訪ねた。私が宣教師として行くことに誤解があったと申し上げるためだった。ところが、牧師が私を見るとすぐに「君がタイのために祈ると言われたんだね?」と言われた。 「あ... 、ああ... 」と言ったが、牧師が非常に確信に満ちた声で言ったので、違うという話ができなかった。その時、その話をできなくて私は今タイに来ているのだ。
それから 「実は私は宣教のために祈ったことがありません。」と言ったら、たぶんタイに来ていなかっただろう。ところが、牧師の確信に満ちた姿に当惑している途中「いいえ」が「はい」になってしまったのだ。牧師がいらっしゃる居室から出た後になって「私は狂った。事実通り大胆に言えばいいのだが、なぜそれをできなかったのだろう... 」と思った。
しかし、「神さまは私たちの髪も数えておられ、すずめも神さまの許可なく落ちないのに、事がこんなに決定されたのは、明らかに神が許されたのだ」という気持ちがした。すでに決定されたものなので心に宣教の準備をし始めた。私が宣教に行く考え、心がなかったとしても、教会が決定した場合、私も教会の意志に従って心を変えればよかった。だから宣教会のために祈り始め、神様が私にひとつの御言葉を与えられた。
「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。」(ルツ3:1)
この御言葉でルツに話したナオミは教会で、ルツは私のように感じられた。神さまが私に「あなたが行くタイ、そこがまさにあなたが休む所だ。わたしはあなたを幸せにすることができる最高の場所だ。」と言われたと聞いた。この御言葉が心に入ってきた後、喜んでタイに行く荷物を包んだ。
・・・4話その2に続く