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宣教師の手記_キム・ハクチョル宣教師編(4話)最終回

グッドニュース宣教会

2020年4月号グッドニュース誌(韓国語から転用させていただきました)
宣教師の手記_キム・ハクチョル宣教師編(4話)最終回

 

タイの宣教の開始、落穂を取る気持ちで

 

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 言語の問題だけでなく、生活必需品をどこで買うかもわからないし、ほうき一つ買うことさえ難しかった。ある日、タイ語の聖書を購入しようとキリスト教書店でしか買うことができないと思い探しに出た。バンコク市内のキリスト教の書店が2つあって、最も近い場所に行くために人々に住所を示し、聞いて聞いて訪ねた。

 

ところが行ってみると書店が見えなかった。通り過ぎる人に下手なタイ語で聞いたら知っている人が誰もいなかった。そうするうちに、ある人が知っていると道を教えてくれて行ってみると書店のドアが閉じていて、別の場所に移転した略図がついていた。その住所に訪ねて行くために3時間かかった。ところが、そこは書店ではなく教会であった。私にそこを教えてくれた人が、私はクリスチャンというから、教会を見つけたいのだと思い、教会を教えてくれたのだ。その日、一日中歩き回って手ぶらで家に帰って行った。

 

その日、私はタイが仏教国という事実を痛感した。何千万人が住んでいる都市であるバンコクに、キリスト教書店がただ2ケ所しかないばかりか、その両方のところも日中探し回ったが、簡単に見つけることができなかったからである。韓国にいれば、聖書を買うことは簡単なはずなのに、タイで私は聖書もしっかり買うことができない存在であった。

 

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バスに乗って4時間かかって汗を流して見つけに行った...

バンコク市内で、私たちの家族が滞在している家を調べてみると、通常家賃が60〜70万ウォン程度だった。思ったより住宅価格が高く、私たちが持っているお金では3ヶ月しか滞在できなかった。郊外に向かって行って調べてみると、部屋2室でコンドミニアムが家賃30万ウォンであり、そこを契約した。毎月30万ウォンがなければならず、二人の子供の教育費と生活費までかかるので、常にお金の心配があった。だからどこに行く時も歩くことが多かった。

 

タイのバスはエアコンバス、扇風機バス、ジープを改造して作ったバス、そのように3種類がある。当時エアコンバスは交通費が約1,000ウォン、扇風機バスは200ウォン、そしてジープ改造バスは100ウォン程度であった。エアコンバスは最初から乗る考えをしていなかったし、200ウォンする扇風機バスも乗らないことが多かった。

 

その時シティバンクに通っていたがIMF事態で退職し、自宅で休んでいたお嬢さんがつながり聖書の勉強をしていた。その女性は車があって、午前中に聖書の勉強をした後、「午後に私が伝導に行くところに一緒に行きましょう」とお願いしたが関心がなかった。

 

その日も間違いなく伝道しに行くために100ウォンバスに乗った。頭が天井に当たって中に入っていけなくて外にぶら下がっていた。赤信号にバスが止まり、その横にマイカーが近づいてきて、犬が頭だけを出していた。 「犬は主人によく出会えて車に乗って通って、私の主人は私をこのよう車に乗せるのか?」と運転手を見るとシティバンクに通っていた姉妹だった。

 

数日後、教会で会ったときに「その時どこ行く途中だったか?」と尋ねると、「ああ、私たちの犬が風邪にかかって動物病院に行ってくる途中だった。」と答えた。私はあまりにもあきれて腹が立った。 「私は風邪かかっても薬を買うお金もないのに、犬が風邪かかったから病院に行くなんて...」犬までも至らなかった私の境遇を考えると、その姉妹ではなく神に腹が立った。

 

その後もバスに乗って伝道に通った。ある日、車で1時間で行くところをバスに乗って3〜4時間がかかって人に会いに行った。行って40分ほどの聖書研究をして帰ってきて、8時間も道路で歩き通ったが、聖書の勉強をすることができるということがとても嬉しかった。 「明日また来ます」と言おうととして、「いや、明日来ると言うと嫌がることもある、という気がして2~3日後に来ますと約束をして、その家を出るとき気分が本当に良かった。

 

2日後、妻と一緒にむし暑さの中で汗をだらだら流しながら4時間かかってその家に訪問した、ドアを叩いても人の気配がなかった。 「はっきりと、今日会うことを約束したが... 」しばらくの間、大きな声で、その人を呼んでドアを強く叩いたが誰も出てこなかった。後で隣の人が出てきて、静かにするように言われたので、一部始終を説明した。その時、その人が渡した冷水一杯に暑い天気と汗で疲れていた私の体を涼しくしてくれた。

 

その日、私タイの人々の傾向について初めて知った。自分が忙しいか、聖書の勉強をしたくない場合はしないと言えばいいが、「はい、どうぞ」と言うのは、約束の時間に表われないことである。私が下手なタイ語で聖書の話を聞くのが大変だったこともありますが、私はそれも知らずによく聞くと思って喜んでいたのだ。

 

結局、その人に会わなかった。暑い日差しの下で4時間のバスを乗り継いで汗を雨が降るようかいても喜んできたが、ひどく落胆となった。 「ここまでしてここで生きなければならないのか?」と思い、無能力な夫に会ってその生涯苦労する妻を考えると、妻にすまなかった。家に帰る途中に妻の手を握って、私のような夫に会って苦労して申し訳ないと言った。その時、列王記下7章に出てくる4人のらい病人の話を思い出した。

「あなた、神がこのように一生苦労して暮らすようにするはずはない。そして、この状態で韓国に帰ることもできず、帰るにも私はお金をもうけて、私たちの家族を養うだけの能力もない。福音を伝えて餓死することがあってもこの道を行かなくてはいけない。私たちの家族は4人のらい病人だ。たとえ捨てられても韓国に帰ることは考えないでこの道を行かなくてはいけない。」

だから妻の手をしっかり握ってバス停に向かって歩きながら、心の中で賛美歌を歌った。

「小さな炎ひとつが大きな火を起こし...」"

 

神の翼の下の保護を受けてきたか

ルツは姑ナオミと一緒にベツレヘムに来たが農作業をする田畑もなく、何もなかった。しかし、自分の畑で少年たちにさせて、落穂を握るようにルツが穂を拾わせてくれるボアズがあった。喉が乾くとき少年たちが汲んできた水を飲むと、乾いた喉を潤してくれるボアズがあった。

主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」(ルツ2:12)

 

私もやはりタイに到着したとき、どのように福音を伝えてどのように生きるか、あまりにも漠然とした。現実的には、聖書一つ簡単に購入することができず、聖書の勉強も続かなく、私の話を聞いてくれる人が誰もいないように見えた。しかし、その後、隣の人が冷水を渡して乾いた喉を潤してくれたように、神は私の心に冷たい冷水のような心を起こして新しい力を与えられた。神様がくださったその心に望みを得て、再び起き歩くことができた。

 

タイに初めて来たとき空腹で大変苦労したかのように見えたが、実際に私がタイ来たのは、神の翼の下の保護を受けるために来たのであって、私の仕事をよくして報酬を受けて、私を高く立てようとしたのではなかった。神はひょっとして私が失望してしゃがむかと思って、束間のあいだ穂が落ちたのを拾っても叱らなかった。その備えられた祝福を与えてくださる神は、私に絶えず慰めと希望を与えてくださる神の保護の下、タイ宣教が開始された。

 

 4話おわり

次の5話は5月の予定です。

 

原文はグッドニュース宣教会の韓国語のホームページにあります。