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パク・オクス牧師 証集 「からし種ひと粒」  無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その1

パク・オクス牧師 証集「からし種ひと粒」(韓国語初版2007年2月26日)

日本語訳は無いので、個人的に翻訳しました。

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パクオクス牧師が経験した神様と信仰の人生のともしび

エス様ひとりだけを見つめて歩んできた信仰の道40年余り

空腹もか弱さもイエス様の中で、すべて輝かしい証を結ばせた。

キリストの香りが漂う物語

 

3 無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その1

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救われて信仰生活をしていて、困難が近づくたびに神様が共にされるという信仰がなくて私は心配や憂いで生きた。 ところで宣教学校で私たちを訓練された宣教師様はその時まで私が知っていた信仰とはとても違う信仰を教えられた。

 

「家からお金を持ってきたり、金を儲けてもいけなくて、他の人に金がないという暗示をしてもいけない」と言われた。 それと共に「ご飯を食べて、バスに乗って通って、ノートを買って使え」とのことだった。 その時はわが国が経済的に難しかった1960年代初期なので、私たちは「アメリカ宣教師はお金が多いから、私たちを助けて、宣教学校に行けばチョコレートやコーヒーやサンドイッチも食べて訓練を受けるだろう」という期待を持った。

ところがその方は何も与えなくて、ただ「全てのものを神様に求めなさい」と言われた。それで私たちはしばしば飢えた。

 

事実、私たちはその時まで神様に祈りはしたが、神様が私たちに必要な全てのものをくれる、という信仰がなくて漠然とした中にあった。 祈りながらも、「誰かがお金少し送ってくれないかな。 家でお父さんが米を少し送ってくれないかな」という人間的な考えでぎっしり埋まった。思いがけなく食物が入ってきても、「本当に神様が私の祈りを聞いてくれたことか、でなければ人々がただ私たちを同情したんだろう」とよく区分できなくて考えが混迷するようになったりした。

 

ある日宣教師様が「君たちは来週月曜日から無銭伝道旅行に行くので、今週一週間祈って準備をしておきなさい」と言われた。次の週月曜日朝になって、宣教師様が私たちを呼び集めた。 宣教師様も無銭伝道旅行にいらっしゃると韓国語になった伝道誌を一包み包んで置いた。 出発する前に宣教師様がポケットに手を入れるので「私たちに旅費をくれるのか」と考えたが、お金を取り出して中に置かれた。

 

今ならば千ウォンの何枚かの、多くないお金だった。そうしたところ「君たちもこのようにしなさい」と言われた。 救われる前に既成教会の牧師であった方が私と同じ組だったが、他の宣教学生たちのポケットでは小金しか出てこないのに、その方のポケットからはかなり多くのお金が出てきた。 私の気持ちがどれくらい痛んだのか。 宣教師様はまもなく兄弟ひとりにさせて「その金をみな献金箱に入れなさい」と言われた。 そして各組行くべき地域を指定して下さった。

 

「一週間後に帰ってきなさい。 私は君たちと一緒に行かないので分からないが、神様は皆知っているので、絶対に人々に手を広げたり助けてほしいという暗示もせずに神様だけを求めなさい。 君たちが本当に神様のしもべならば神様が助けられます」

 

みんな一文なしで出かけ、宣教師様も無一文で韓国語も分からなくて風呂敷に安い伝道誌を持って歩いていかれた。

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私たちの組(三人)は浦項(ポハン)に行かなければならなかったが、大邱(テグ)から出発して霊泉(ヨンチョン)ぐらいまで行くとお腹がすいた。 お腹だけすいたのでなく「今夜はどこで寝ようか」という心配が山積のようだった。 家ごとに通って伝道したが、私の心には伝道よりも「誰かがご飯ちょっと与えてくれないか。 寝て行けと言わないか」という期待しか入らなかった。 「主よ、どうかこの家で寝て行くようにして下さい」という心なのでそうなのか、御言葉を伝えても人々が聞かないで「分かるからもうそろそろ行け」と言った。

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(コネスト韓国地図から引用させていただきました。とても便利な地図です。)

 

夕方九時半になると町内がほとんど寝ついた。 薄情な気がしてその町内を離れて再び浦項(ポハン)方向に歩いた。 明け方三時まで歩いたが、お腹もすいて疲れて眠気がきて…。同行する牧師であった兄弟に「兄弟、私たち橋の下ででも少し寝て行きましょう」「そうしよう、パク兄弟、少しだけこらえましょう。 神様が私たちのために用意されたでしょう」と言うが、私はとうてい耐えられなかった。 明け方三時頃になって霜がおりるとすぐに寒くて震えることさえした。 道端に礼拝堂が一つあって私は「私たちあちらに入りましょう」とその兄弟を引き寄せて入った。

 

田舎教会だったが、入ってうつ伏せになって祈る姿勢で寝た。 しばらくして明け方祈祷会時間になって人々が集まったが、私は祈祷会を終えるようにうつ伏せになって寝た。 ところで誰かがご飯食べると言い私を起こして思わずついて行った。わかったことは、その教会の伝道師様と牧師であった兄弟が知り合いであった。

 

用意されたご飯をいっぱい食べて再び出発した。 だが、神様がご飯をくれたという心は別に入らなかった。 浦項(ポハン)から安康まで行って伝道する時には、不思議に「我が家にきてご飯食べて寝て行け」という人々がいた。 それでも私の心には「私たちがあまりにも哀れに見えるから、そうするということだよ」という気がして「神様がされた」という心は入らなかった。

 

旅程をみな終えて最後に安康(アンガン)から大邱(テグ)に行くべきなのに、私たちが持っていたお金は私たちの三人が安康(アンガン)から慶州(キョンジュ)まで行くことができる金額であった。 それで慶州まで行く電車の切符を買って電車の中で伝道をした。 慶州駅でおりたが、ある方が私の背中をドンドンたたくと私たちをちょっと見ようとした。

 

「私が今日先生にお昼を買って差し上げたいのですが」

その時はじめて「これは本当に神様がしたのだ」という気がした。 神様に感謝する気持ちでその方に従っていった。 その方は私たちを自分が知っている食堂に連れていったが、その日が休日なので食堂の門が閉められていた。 他の食堂に行ったがそこも門が閉められていたし、行く食堂がことごとく門が閉められていた。

 

するとその方が時計を見ていて「私が先生に必ずお昼を接待したかったが、酒場の他にはレストランがみな門を閉めましたね。 酒場に行くことはできなくて、また、私が今忙しくて…。お金を差し上げるからお昼を買ってください」とお金を与えて行った。 私たちはその方に挨拶した後、お金を数えてみた。

 

かなり多くのお金だった。 その金でまず電車の切符を買った。 大邱(テグ)まで行く電車の切符を買った後で三人がジャジャン麺をひと皿ずつ買って食べたので、お金が一ウォンも足りなかったり残ったりしなかった。 その日慶州市場のかなりの食堂の門がみな閉じられたのも神様が準備されたことだった。

 

続き >>>無銭伝道旅行を通した信仰の訓練 その2